投稿者「Yasunobu Hosokawa」のアーカイブ

第22号 2009年4月発行
「フレッシュな春!今月号から、元気倶楽部通信もリフレッシュ」

こんにちは、失礼します。
生搾りどくだみ青汁酒・十黒梅(じゅっこくばい)食援隊の細川泰伸です。

よく両親から、「1月は行く(往ぬ)、2月は逃げる、3月は去る」と教えてもらったのですが
全くその通りで、2009年の年明けから、あっという間の3ヶ月が過ぎました。
皆様、いかがお過ごしでしょうか?

こちら高知は、桜の開花が3月16日に発表され、いよいよ、春の訪れです。
花や草が芽生え、野山が活気付く季節がやってきました。
甲子園では、フレッシュな高校生のハツラツとした全力プレーが繰り広げられ
4月からは、WBCの興奮さめやらぬプロ野球が開幕します。

朝のウォーキング(結構、サボり気味ですが・・・)で、日の出が早くなり、
明るくなったせいか、目に飛び込んでくる景色が別世界のように感じます。

私事で、長男がこの4月から小学校一年生になります。
家で、ピカピカのランドセルを試しに背負わせたところ
背負っているのか?背負われているのか?見る景色や、周りの環境が変わると、
なんだかフレッシュな気持ちになって、とってもいいものですね。

「食援隊」も3月より、お客様担当のメンバーに1人加わり、
フレッシュな春を迎えております。

新しいメンバーは、西内由衣(にしうちゆい)、25歳の女性です。
皆様からのお電話やメールでの、質問やご注文、ご変更など承りますので
どうぞ、宜しくお願い致します。

そんな、フレッシュな食援隊、朝の掃除やお昼休み等で、
本当にどうでもいい雑談が、繰り広げられるのですが
世代の違いって、本当に凄いですねぇ~、話題の違い、ズレに、
大輪の花が咲いております。

私が39歳になりますので、その差は、14歳!!!干支で一回り以上も違います。
小さい時に見た、テレビ番組の違いがその最たる例!
私など「8時だよ!全員集合!」で育った時代です。もちろんリアルタイムで見ていました。
当時は、ビデオなど便利なものはありませんでしたので、土曜日の8時になると、
必ず、テレビの前に座り、CMの間に、トイレを済ます! この時代です。

あの長寿番組、「クイズダービー」の話題で、「最終問題で、倍率はさらに、倍!ドン!」
「篠沢教授に、2000点!!!」「はらたいらさんに、全部!!」というお馴染みのセリフも
世代の違いの前では、話題のキャッチボールが難しくなります。

ですがっ
唯一、「私もその番組を見ましたぁ!!!!」という長寿番組がありました。

それは、
「ニューヨークに行きたいかぁ~!!!!」でお馴染みの
「アメリカ横断ウルトラクイズ」

福留さんの人情味あふれる名司会と
大きな荷物を背負って、いつ負けて日本に帰るかもしれない挑戦者達の
熱い熱い熱い、激闘ぶりは、今も瞼の裏側に焼きついているように思います。

ついさっきまで寝食を共にした仲の良かった挑戦者たちが
クイズを重ねる毎に、また一人、また一人と、日本に帰る事に、
次のクイズ地に向う者、見送りをする者。ある意味、バラエティークイズ番組に類のない、
人間模様のようなものに、胸を躍らせ、目頭を熱くしました。

インターネットで調べてみますと、第1回の1977年から第16回の1992年まで
15年も愛され続けた長寿番組、その魅力を一言で、語れ、といわれても、
なかなか簡単にはいかないと思います。

「クイズ番組」の事を、ふと自分なりに考えてみると
世代を超えて、愛され続ける不思議な力があるように感じました。
「クイズ番組」と一言に言っても数え切れない程の番組がありますし
それぞれ、ゲーム性があったり、教養性があったり、体力勝負であったり
出演者が一般応募だったり、有名人だったり、
いろいろな切り口で、いろいろなやり方があります。

しかし、「出題者が質問を出す」「回答者が答える」という肝の部分は、
どれも同じのように思います。
そして、「出題者が質問を出す」「回答者が答える」という単純なやり取りは
双方向の関係を深めるだけでなく、周りのものも吸引するような、
しかも世代を超えるような、不思議な力を持っているように感じました。

この「イキイキ元気倶楽部通信」は、十黒梅(じゅっこくばい)を
ご愛飲の方々にだけ、お届けしておりますが、この手作り新聞のさらなる充実、
ご愛飲の皆様に、より楽しくお役に立つ情報を発信するには、と
「クイズコーナーを新設してみては?」と考えました。

この4月から気分一新!『知って得する「どくだみのお話」』を
フレッシュに「なるほど!どくだみクイズ♪ ~目指せ!どくだみ博士~ 」と題して
クイズ形式でご紹介致します。クイズで楽しく、「どくだみ」の事をご紹介して参りますので
どうか、楽しみながら、お読みいただければ幸いです。

それでは、失礼します。

細川 泰伸

第21号 2009年3月発行
「びっくり!100畳の大凧を見に行ってきました。」

こんにちは、失礼します。
生搾りどくだみ青汁酒・十黒梅(じゅっこくばい)食援隊の細川泰伸です。

こんにちは、失礼します。食援隊 細川 泰伸 です。
いつもいつも十黒梅をご愛飲頂きまして、本当にありがとうございます。

先月11日、ここ高知で
「100畳の大凧」を揚げる!!!という、もの凄いイベントがあり
子供達に一目、その大凧の雄姿を見せてやりたいと
家族総出で見に行ってきました。
(妻に言わせれば、私が一番、大騒ぎしていたそうです。)

場所は、香南市野市町(こうなんしのいちちょう)物部川(ものべがわ)河川敷!
午前10時には、その100畳の大凧を一目見ようと
大勢の見物客が集まり大賑わいです。

なんと言っても、100畳ですからね~100畳!
畳100枚分!!!!!!!!
重さは、なんと約180キロ!!!!!
凄いというか、凄過ぎる大きさの大凧です。

そんな大凧が大空に、堂々と悠々と舞ったら
それは、見事という言葉を通り過ぎているでしょう。

このイベントを開催しているのは、野市町土佐凧保存同好会の方々で
江戸時代から伝わる「土佐凧」を後世に残したいと
毎年、寒風吹き荒ぶ凧揚げに絶好のこの季節に開催され、
今年で34回を数えます。

この土佐凧は、竹と和紙で作り、そこに直接、手書きで絵を書いた凧で
形は正方形を斜め45度に回転させた形が特徴です。
正ひし形と言えば、分かりやすいかもしれません。

この大凧、やはり、何といっても
風を味方にしないと、揚がるものも揚がりません。
約180キロも重さがありますからね~
風が吹かなければ、当然揚がりませんし風が強すぎても、揚がりません。
まさしく、神頼み風頼みのイベントです。

いやぁ~、いいですね~、吹くか吹かないか分からない風に
何日も何日も何日も何日もかけて
同好会のメンバー大勢で大凧を作り上げる姿
そして、その風を頼みに、大凧を揚げる姿
何か男のロマンを感じえずにおりません。

それで、過去はどうだったかと申しますと、
ほとんどは、揚がらずじまいだったそうです。
何せ、100畳の大凧ですから、そのへんの風じゃぁ、大空を気持ちよく。。。。
と、いうわけにはいきませんからね

過去に揚がった時は、大空を独占するように、大威張りで、空に舞ったそうです。
何でも、揚げ手の先頭の人は、凧に引っ張れ、宙に浮いたそうです。
いやぁ~、本当にすごい話です。

さて、今年は!!!その大凧は揚がったのでしょうか???

午前10時に会場についた私達4人
地元の方々に紛れ、開会式の輪の中に入っていました。
そして、主催者の方が
「午後1時頃、風を見計らって、大凧を揚げます!」とのアナウンス

私:「えええええええええ!!!!!!
10時からやと思おうて、10時に来たのに」
準備不足というか、事前にしっかりと情報を掴んでおくべきでした。
妻:「そんなことなら、今日は、椅子を見に行きたかったのに」
来月から、小学生になる息子の勉強椅子を見に行きたかったと、残念そうです。
子供:「おとうさん、まだ、たこは、あげんがぁ~?」
思いっきり、ブーイングの嵐です。

「備えあれば憂いなし」事前の準備、情報収集は本当に大事ですね~

そうこうしていると・・・・・、子供:「おなか、すいたぁ~」
これは、もう午後1時まで、ここで待つわけにはいきません。
昼食と最寄の家具店に子供の勉強椅子を見に行くことを兼ね、
一旦、この場を離れる事にしました。
これがいけませんでした!一旦、その場所を離れたばっかりに・・・・

そうなんです。戻ってきた時には
大凧揚げが終わった直後っ! 残念っ!

見物客の方々に、どうだったかと尋ねると
「ちょっとしか揚がらんかった」「揚がるには、揚がったけんどねぇ~」
「すっと終わった、まぁ~こんなもんよ」「風が吹かんかったきねぇ~、来年のお楽しみよ」
「まぁ~、この風で、あればぁ~揚がったら上等よぉ~」などなど

どうやら、揚がるには揚がったけれど、風が吹かなかったため
ほんの数分、フワッと揚がっただけのようでした。

それにしても、いくら天候、風頼みとはいえ
一年もかけて、この日のこの時のために準備をされた同好会の方々
そして、雄姿を楽しみにしていた見物客の方々の
「自然のことやき、しょうがないねぇ~」の一言で終わらせてしまう、
何といいましょうか、心の大きさといいましょうか、
心のゆとりといいましょうか、大らかさといいましょうか
100畳の大凧を凌ぐ、気持ちの大きさを感じ得ずにおりません。

その空間に包まれているだけで
何か、日頃にない、ゆったりとした気持ちに浸りました。

その日、その時のために一生懸命やって
それで、しっかりと結果が出れば、それに超した事はありませんが、
決して、そうではない事も多々あると思います。
逆に、残念な結果の方が多いように思います。

その時に、この大凧のように、
「これで上等」「これで良かった」「来年のお楽しみ」と思えるくらい
心の余裕、ゆとり、おおらかさを持ちたいなぁ~
そんな風に、じわぁ~と感じたことでした。

それでは、失礼します。

細川 泰伸

第20号 2009年2月発行
「皆様のお陰で、名誉ある賞を頂く事ができました。」

こんにちは、失礼します。食援隊 細川 泰伸 です。
いつもいつも十黒梅をご愛飲頂きまして、本当にありがとうございます。

まず、皆様に、ご報告とお礼がございます。
この度、私ども高知県の中で、過去2年間に製造され
販売実績を挙げた県内企業の製品や、 地場産業振興に
貢献した地域活動を表彰している地場産業大賞という賞がございまして、

皆様にご愛飲頂いております、生搾りどくだみ青汁酒・十黒梅が、
今年の名誉ある奨励賞を頂きました。

皆様、本当にありがとうございました。厚くお礼申し上げます。
この受賞は、皆様からのたくさんの嬉しいご感想のお声の数々
そして、多くの方に長くご愛飲頂いている事が高く評価されました。

本当に皆様のお陰でございます。重ねまして心より感謝申し上げます。

妻の体調不良がきっかけで、 薬学博士からアドバイスを頂き開発したこのお酒ですが、
まさか賞など頂けるとは、夢にも思っておりませんでした。

商品化を決心した時は、 「必ず、お役に立てるものに違いない」
という思いはありましたが、 その反面、さまざまな不安もありました。

正直、妻と子供が2人いて自分と家族の生涯を掛ける事の重さも、
ずっしりと感じておりました。

翌年の初詣では、当時6歳と4歳の長女と長男が
「どくだみが、うれますように」と突然声に出して、 手を合わせた時には、
涙を押さえる事ができませんでした。 昨日の事のように、ありありと思い出します。

十黒梅が完成し、製造ラインに乗り、大量に製造された時は 「もし売れなかったら・・・」と、
少々心が縮む思いがしましたが、 その時、妻があっさりと、
「自分達家族が飲む一生分を先に買ったと思えばえいやん」 と言ってくれたことは、
今でも忘れる事ができません。

いよいよ2007年5月の発売スタート。 私の心配をよそに、
お陰様で、これまで多くの皆様にご愛飲頂く様になりました。

先月2009年1月までの間、なんと2万人を超える皆様とご縁を頂きました。
本当にありがとうございます。

中には、ご愛飲の皆様からお勧め頂き、ご縁を頂いた方も多く 皆様のお支えに、
感謝の申し上げようがございません。

それから、私どもの支えになっていると言えば、
ご愛飲の皆様から頂く、嬉しいお声、喜びのお声でございます。

そのお声を拝読させて頂く度、
「お役に立てて、本当に良かった。十黒梅を作って本当に良かった。」と
何度、励まされた事か、わかりません。

今回、地場産業大賞奨励賞の受賞にあたり、
もう一度、嬉しいお声を拝読させて頂いた時、
胸に熱いものが込み上げ、大きな大きな励みになりました。

そして、この嬉しいお声の数々は、ご愛飲の皆様方にも きっとご参考になるはず、
きっと励みになるはず、きっとお役に立てるはずと思い、
別冊の増刊号を発行させて頂く事に致しました。

また、この手作り新聞の中でご案内しております人気コーナー、
「知って得するどくだみのお話」もギュッとまとめてご紹介しております。

今回、その「増刊号」を同封させて頂いておりますので、
是非、ご参考頂き、お役立て頂ければ幸いです。

さて、話は変わりますが、 早いもので2009年の年明けから
あっっっ!!!!!と、いう間に1ヶ月が過ぎ、2月に入りました。

私にとりまして、2月は、生涯忘れる事のできない特別な1日があります。
それは、21年前の2月1日、私事ではございますが、
高校の卒業式の思い出話をさせて頂きたいと思います。

私は、高校野球で有名な「明徳義塾高校」の出身です。 当時は、全寮制の学校でした。
寮生活は、結構厳しいものがありまして 中には夜のうちに、逃げ出す者もいました。

何が厳しかったかといいますと 寮の規則や先生も相当に厳しかったのですが、
やはり、先輩後輩の上下関係が一番厳しかったです。

先輩が「カラスの色は白!」といえば、
カラスはどこからどう見て黒なのに、白色と答えなければ大変です。

通常の学校なら、学校にいる時、部活で練習をしている時だけが、
その先輩後輩の上下関係の厳しい時間でしょうが、
部活ごとの寮生活ともなると、同じ部屋に、先輩がいますので、
24時間四六時中、ずっと、上下関係が存在するのです。

よく友人が「高校時代に戻りたい」とか口にしますが、
私は決して高校時代には戻りたくはありません。

しかし、私にとってあの厳しい日々は、決してマイナスだったとは思いません。
むしろ、プラスの面が多かったように思います。

自分で言うのも何ですが、社会に出てからは、
「細川君は、しっかり挨拶ができるね」「君は、なかなか礼儀正しいね」とか、
それから「君は本当に粘り強いね」「めげないね」などと、
言っていただく事が少なくありません。

厳しい寮生活の中で、挨拶を怠ると、そりゃぁ~、もう大変ですし、
少々のことで、泣き言を言っていたら、これまた、大変です。

あの厳しさがあったからこそ、今の私があると、寮生活を憎みつつ、感謝しております。
いやぁ~、ホントにしごかれましたぁ~。

それで、卒業式の時は、中学から明徳でしたので、
合計6年間の寮生活から 「やっと開放される、自由になれる!!!!!!!!!」
喜び一色の笑顔のはずでしたが、 寝食を共にした仲間や後輩が私のために、
何日もかけて各寮をまわり ノートいっぱいに、
何冊も書いてくれた応援メッセージや 紙吹雪、胴上げ、
そして、最後にギュッと抱きしめてくれた先生・・・

ワケのわからない涙でいっぱいです。目の前が、全く見えません。
体中の水分がなくなるまで、涙は止まりませんでした。
何度も何度も何度も何度も、泣きながら、
「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」と叫んでいました。

そして、今年も無事に2月を迎えました。
寝る前に、十黒梅をお猪口に一盃、 「きょうもいちにちありがとう」と、
この無事に感謝して、眠りにつきたいと思います。

それでは、失礼します。

細川 泰伸

第19号 2009年1月発行
「新年、あけましておめでとうございます。」

新年、あけましておめでとうございます。
旧年中は、十黒梅をご愛飲頂きまして、本当にありがとうございました。
心より、厚く感謝申し上げます。

2009年は、さらに皆様のお役に立てるよう頑張って参ります。
本年も何卒どうぞ宜しくお願い申し上げます。

さて皆様、お正月はいかがお過ごしでしたでしょうか?
テレビをつけると、高速道路の込み具合や
新幹線の乗車率、飛行場の混雑の様子が映し出されてました。
きっと、ご家族皆様お揃いで、楽しいお正月を過ごされたのだと想像しています。

私はといいますと
高知の西部、幡多郡黒潮町で、新年を迎えました。

この地は、サーフィンのメッカとしても有名で
近畿・中国地方から、何時間もかけて来られる方が非常に多く
この地の波が好きで、移住される方も少なくありません。

中には、海外からも移り住む方もいらっしゃる程です。
春には、青空の下、砂浜美術館と名付けられたこの砂浜いっぱいに、
海風を気持ちよさそうに受けたTシャツが広がる 「Tシャツアート展」が開催されたり、

11月には、こちらも青空の下で、
砂浜のすぐ後ろに広がった松林にて、キルト展も開催されます。

なぜ、この地を選らんだと申しますと
昨年より、十黒梅の原料であります、ドクダミの栽培の準備を進めており、
土地の方々に年末年始のご挨拶と、ドクダミの豊作の祈願を込め
ここで一年のスタートを切る事にしました。

12月31日は、農家の方々や役場の方など、お世話になった方に挨拶に伺い
夜は、窓口となって頂いた方の所にお招き頂き、ご馳走に預かりました。

テーブルの上には、寿しや、皿鉢(さわち)料理が、ズラッと並び、大ご馳走です。
皿鉢(さわち)料理というのは、高知特有の名物料理で
大皿の上に、海の幸、山の幸や食後の甘味などを
色とりどりに、豪快に盛り付けた料理です。

一説には、女性の方も、一緒にお酒を飲んで楽しみたいので
料理を一品一品、テーブルに運ぶのは面倒、
そこで、前菜からメイン料理、デザートまでを大皿に全部盛り付けたとか・・・

事の真偽は分かりませんが、酒好きの県民性がよく表れた料理のようで、
お酒の大好きな私にとりましても、 非常にありがたい食文化でもあります。

一年の労をねぎらい、明るい年の抱負を語り合うお酒とお料理の味は格別で、
時間の経つの忘れ、ずいぶん遅くまで、お世話になりました。

気がつけば、紅白歌合戦も大詰めを迎え
これ以上の長居は失礼があると、失礼をさせて頂き、ホテルに着いた頃、
ちょうど除夜の鐘が山の方から鳴り響いていました。

部屋に入り、家族4人で新年を祝い
今年は、こんな事に頑張ろう!と話し合いました。

長男は、4月から小学生です。
「べんきょう、がんばります」と、分かっているのか分かってないのか・・・
長女は、「すいえい、がんばります」、泳ぐのが大好きなようです。

私と妻は、もちろん「十黒梅、がんばります」
今年も、皆様のお役に立てるよう頑張ります。

それからすぐに、ベッドに潜り込み、
日の出の時間に目覚まし時計をセットし、眠りにつきます。

そうです!今回のメインイベントの「初日の出」が
この後、待っています。寝坊して、見れなかったというのでは
海辺のホテルに何しに来たのか分かりません。

ふぅ~~~と、眠りについた頃でしょうか?
どこか遠くの方から、いつもと違う聞きなれない目覚まし時計の音が聞こえ、
ハッと目がさめた時は、窓の外の階下から
初日の出を待ち構えている方々の談笑が聞こえてきました。

妻を起こそうとしたその時、
窓がほんのり、明るくなってきました。

そうです!間もなく初日の出です。
カーテンを開けると、目の前に雄大な太平洋が広がってます。
心地よい静かな波音が聞こえ、穏やかな2009年の幕開けです。

水平線には、雲が広がり、
水平線から上る初日の出は、どうやら見れそうにありませんが
その雲が次第に明るく幻想的に・・・
雲の切れ間から、太陽が顔を出そうとした瞬間
今度は西から、暗雲が覆いかぶさるようにかかって来ました。

海岸の方から、初日の出を楽しみにしていた人達の
「あぁ~~~~」という、どよめきの声が聞こえてきました。
なかなか、思うように、物事はいかないようですね。

しかし、雲の間から、遠くの海に差し込む太陽の光は
まるで光のカーテンのようで、横にいる妻と
しばらく、その神秘的な美しさに見とれていました。

それから、数分後、待ちに待った太陽が、その雲から姿を見せました。

まばゆいばかりの、その温かな光に手を合わせ
家族の健康、お客様の健康をお祈りしました。
昨年は、手を合わすことが出来なかった「初日の出」でしたが
今年は、無事に手を合わすことができ
チャンスに恵まれた事を幸せに感じております。

子供は・・・といいますと、年越しをしてから、 眠りについたせいか、
何度起こしても、 「もうちょっと寝たいぃ~」と二人とも布団の中に、潜り込む始末、
一緒に手を合わせるのは、 来年以降のお楽しみのようです。

この年末年始、家族4人で、土地の皆様の温かさ、
自然の恵みの温かさに包まれた事に 本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

2009年は、 このありがとうの気持ちを形にできるよう、
そして、皆様のお役にたてるよう頑張って参ります。
今年も、どうぞ宜しくお願いします。

それでは、失礼します。

細川 泰伸

hinode

 

第18号 2008年12月発行
「今年も本当にありがとうございました。」

こんにちは、失礼します。
生搾りどくだみ青汁酒・十黒梅(じゅっこくばい)食援隊の細川泰伸です。

商店街にクリスマスのメロディーが流れはじめ
いよいよ冬本番、寒さ厳しい季節になりました。
皆様、いかがお過ごしでしょうか?

こちら高知も、南国とはいえ、やっぱり冬!
11月の終わりから、急に冷え込み、事務所の暖房を入れたところ。。。
「プスっ、プスっ、しゅぅぅうううう」と、嫌ぁぁああ~な予感の音がしまして、
「プスンっ」という気の抜けた音とともに止まりました。

そうなんです。嫌な予感、大的中です。
修理には、部品を取り寄せ、数日かかるとか(トホホ)
しばらく、アンダーシャツは長袖、ズボンの下はパッチetc
おもいっきりウォームビズで、元気モリモリで過ごしたいと思います。
(パッチは、本当に、あったかぁぁ~~~いですね、もう手放せなくなってます。)

それにしても、それにしても、あっという間の12月
皆様にとりましては、2008年はいかがでしたでしょうか?
「充実した一年だった」「念願かなった一年だった」という方もいらっしゃれば
「残念な一年だった」「悲しい一年だった」という方もいらっしゃると思います。

私はと、いいますと
一言で言い表すのは、非常に難しいのですが
「本当にありがとうございます!の一年」でした。

と、いいますのは
今年は、非常に多くのお客様に、十黒梅をご愛飲頂き、そして皆様から
「十黒梅とは運命の出会いでした」
「神様が引き合わせてくれた」
といった、嬉しいお声を、たくさん、たくさん、たくさん頂き、
本当にありがとうございます。
自ら開発した十黒梅が、皆様にお役立てすることができ、
嬉しい気持ち、感謝の気持ちででいっぱいです。

2009年は、さらにさらにさらに
皆様に喜んで頂けるよう、努力して参りますので
どうぞ、これからも宜しくお願いします。

そんな思いをギュッとギュッツと詰め込んだ2009年
来年の話を今から話しますと、赤鬼青鬼に大笑いされそうですが、

私は、
願いよ叶え!初日の出ツアーからスタートする予定です。

場所は、高知県幡多郡黒潮町入野海岸!
太平洋から昇る初日の出に、2009年のお願いをして参ります。

なぜ、この地を選んだかと申しますと
十黒梅開発前より、ドクダミの栽培地を探しておりました。

知り得る所に「ドクダミを栽培して欲しい」とお願いしたのですが
「ドクダミの栽培なんて聞いた事がない」
「作ったら全部、永年、買ってくれるのか?」
「ドクダミが隣の畑に、はびこったらどうするのか?」などなど
まだ製品化に至ってない事で、具体的な収穫量も見えてなかった事もあり
私の説明不足、努力不足、実績不足で、なかなか前に進みませんでした。

そんな中、念ずれば通ずというのでしょうか
黒潮町に以前からお世話になっている方がいらっしゃり
「細川ちゃん、ホントにおもしろい事する人やね」とニッコリ笑って
町の農家さんの家を一緒に訪ねてくださり
今年の春から、栽培の準備をすすめ
「黒潮町ドクダミ生産組合」という組合まで発足して頂き
2009年の本格的な収穫を目指してきました。

今までは、日本国内に限り、主に、千葉・長野・群馬・鹿児島・高知などの
確かなドクダミを原料に使っておりましたが、

さらに、これにプラスする事で
●原料不足の心配がない
●他のドクダミ商品の開発もできる などなど
さらにお客様に、喜んで頂けるよう、お役立てできるように
取り組んでいける環境が整うものと確信しております。

2009年は、今まで以上に、
喜んで頂けるよう、お役立てできるように努力して参りますので、
皆様、何卒どうぞ宜しくお願い致します。
その今年一年の感謝と来年の意気込みを込めまして
皆様に、とっておきの「プレゼント」がございます。
そのプレゼントとは。。。。

同封の
十黒梅(じゅっこくばい)
いつ届くのか、一目で分かるカレンダーです。(*^_^*)
jukko_calender

はいっ♪
月めくり式になってますので、「この日に届く」という日を、
ご面倒をお掛け致しますが、まず真っ先にご記入下さい。

そうすれば、もう安心です。届く日が、バッチリ記入されているので
ご変更がある場合は、カレンダー下記の電話番号まで、ダイヤルすればOK♪
また時間外の時でも24時間対応のインターネットのホームページも
記載しておりますので、簡単アクセス♪

コンパクトな卓上式となっておりますので、
場所を取らず大変重宝頂けると思います。

その他の予定もしっかり書けるスペースもございますので
スケジュールをどんどん書き込んで頂いて
2009年、実り多い一年となりますよう、お役立て頂ければ、幸いです。

皆様にとりまして、来年は幸多き一年でありますよう、心よりお祈り申し上げます。
本年は、本当に本当に本当にありがとうございました。
社員一同、心より、感謝申し上げます。

それでは、失礼します。

細川 泰伸

第17号 2008年11月発行
「見える!という感激」

こんにちは、失礼します。
生搾りどくだみ青汁酒・十黒梅(じゅっこくばい)食援隊の細川泰伸です。

少し肌寒くなった10月のある日、私は単身、一大決心を肚に固め
飛行機に乗り、大阪に向かいました。

その時の私の乗った高知龍馬空港からの大阪便は
数年前に、機体不良のため胴体着陸で話題になった機と同機種のプロペラ機です。

「変な事にはならないだろうか?」 私の一大決心に一抹の不安がよぎります。
しかし、モノは考えようというか、私があまりにも楽天家なのか
それとも、頭のネジが一本飛んで思考回路が狂っているのか
その機に乗るには、ロビーからの直結連絡通路ではなく
一旦、滑走路に下りて、滑走路を歩いて、その機に乗り込まなければなりません。

そうです、30年程前に、
一世風靡した人気テレビ番組「Gメン75」のように滑走路を歩くのです。
その「滑走路を歩く」という行為が、どんな困難にも立ち向かうGメンのように
私の一大決心を力強いものに変えていきます。

その一大決心とは、、、 目の手術です。

特にここ数年、レーザーによる視力の矯正手術が進歩し
一般的になってきました。私の知人が、その手術を受け
「世界が変わった」「こんなに、明るく、広かったんや」と大喜びです。

さらに、
「朝、目が覚めて、眼鏡は?眼鏡は?と探す目が すごくハッキリ見えて、
あっ!コンタクト外さすに寝たぁ???
あっっっっ!もう眼鏡もコンタクトも要らんのや」と
満面のニコニコ顔の笑顔を見て
非常という言葉が生ぬるい程、興味を抱いておりました。

と、いいますは、小さい頃に、テレビを近くで見過ぎたのでしょうか?
私には小学校に上がる前から眼鏡なしの生活はありえませんでした。

寝る時と視力検査以外は、全て眼鏡をしていました。
視力は「C」の一番上の「0.1」が見えず「0.02」とか、そんな視力です。
眼鏡やコンタクトレンズで矯正してやっと「0.7」程度でした。

当然のように裸眼では、飛んでくるボールなんて見えません。
小さい頃は、悪ガキ連中に眼鏡を取られたり、
中学・高校に入ると「ガンをつけた!」と絡まれる始末
見えない事で本当に嫌な思いをしました。

ですから、「ハッキリ見える生活」 いや、普通の人のように
「普通に見える生活」に全国トップレベルの願望をずっと持ち続けていました。

手術を受けた知人のあまりの喜びように
心がガクンっ!と大きく動かされ、7月に手術前の適性検査を受けました。

結果は、私の目は、乱視が極度に強い等の性質上、
一般的なレーザー矯正ではなく、
目の中にレンズを入れる「眼内レンズ」が適しているとの事。

こうやって、文字にすると大した事のないように思えますし
担当医:「細川さんには、レーシックは無理です。やるとしたら眼内レンズですね」と
必要最低限の言葉で、コンビニで、おにぎりでも買うようにあっさり言うものですから
その宣告(?)を受けたその瞬間は、
「そうなんやぁ~」ぐらいにしか思えませんでしたがっっっ!!!!

目の中に、レンズを入れるぅぅううう!!!!!

一呼吸置いた次の瞬間から、あまりの事の大きさに、
「手術やめようか?」とガクンっ!と心が傾きかけます。

しかしっ、ここは乗りかかった船、何事にも流れというものがあります。
勢い、その場でレンズを注文し、3ヶ月待って、
やっとそのレンズが出来上がり10月の手術当日を迎えました。

病院につくと、私の心臓はバクバクです。
目にメスが入り、レンズが挿入され、装着され。。。
想像するだけで、気持ちが縮んできます。

順番が呼ばれるまでの「その時間」は
ある意味、今までに体験した事のないような肝の冷え方で、とても長い時間に感じました。

待合で待っていると目に眼帯をした、手術後らしき人が
私の横を通り過ぎます。「ああ、数時間後は、ボクも。。。。」と思う矢先
とうとう、「その時」がやってきました。私の順番が呼ばれたのです。

今でこそ、「その時、歴史が動いた」のテーマソングが
頭の中でリピートされ、その時の様子を思い描く事ができますが
本当の「その時」は、そんな余裕は一瞬たりともありません。

覚悟を決め、手術室に入ります。もうジタバタしても始まりません
手術台に横になる様は、まさしく「まな板の上の鯉」です。

手際のいい看護士達がササっと準備をし、担当の先生が、颯爽と登場!
温和な口調で「こんにちは、細川さん、緊張してますか?」と。。。

小声で「はい」と言うのがやっと、、、、、、
しかし、この緊迫した状況(私だけ)の中で
先生の温かみのある「緊張してますか?」のたった一言は
それまで、冷たい鋼鉄のよう感じをしていた手術台が
大きくて柔らかなクロワッサンのような感覚になり、ずいぶんと気持ちが楽になりました。

目に麻酔の目薬が点眼され、何やら、目にサッと走ったような感覚
きっと、メスが入ったのでしょう。
目の手術だけに、やっている事が見えるのです。
見えるだけに、妙に怖いものを感じるや否や

あっ!何か入ったかなぁ~ 急に、ピントが合う!!!というか
ぼやけた視界がハッキリっと!!!!

先生:「レンズが入りましたよぉ~、今から固定しますねぇ~」
すばやい動きであっという間に、無事に手術完了、凄すぎるスピーディーな腕裁き!

おそらく、10分もかかってないでしょう。私が、そう感じたのですから
実際は、5分もかかってないのかしれません。

その日は、眼帯をして完全安静! 一人ベッドの中に潜り込みます。
正直、手術はしたものの、あまり見えてなかったらどうしよう等と
いろいろな心配が、頭をよぎりなかなか、眠りにつくことができません。

大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせると同時に、
いや、きっと必ず、間違いなく、絶対にいい方になるはずだと、
何度も何度も思い込むようにして、なんとか眠りにつきました。
そして迎えた翌日の検診で、眼帯を取り、目を開けると。。。

なんと!  一番下の「C」が見えたのです!
そうです!「2.0」が見えたのです!!!!!!

この驚き!その辺の言葉は安っぽい!物心ついた頃から、いつも霧の中というか、
大きなスリガラスの入れ物の中というか視界は、常に、ぼやけっぱなし、そんな私です。

ハッキリ、クッキリ、スッキリ見えるこの様、 信じられない?まさか夢?
何度も何度も何度も何度も何度も、一番下の「2.0」の「C」を確認して
「右です!」と強く声に出します。(手はガッツポーズです)

この「見える感激」言葉が出ません。改めて医療の進歩の凄さに驚きです。

執刀して頂いた先生、本当にありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです。

知人が話してくれた「世界が変わった」とは、まさにこの事だと感じました。
視界が明るくなると、気持ちも明るくなったように思います。

今まで、「どうせ見えないから」とあきらめていた事で
意欲が沸かなかった事も「見える」という事で、意欲的に取り込む事ができると思います。
これから今まで以上に、何事にも積極的に前向きに取り組んでいきたいと思います。

それでは、失礼します。

細川 泰伸

第16号 2008年10月発行
「胸を熱くした運動会」

こんにちは、失礼します。
生搾りどくだみ青汁酒・十黒梅(じゅっこくばい)食援隊の細川泰伸です。

先日、私の長男の通う保育園の運動会がありました。
長男は、年長組でして、今年が最後の保育園の運動会になります。

前日から降りしきる雨が非常に心配でしたが
運動会当日の朝、空は、この日を待っていたかのように
ピタッと雨が止み、明るさを取り戻しました。

運動場は、先生たちの懸命の排水作業で何とか、園児が走り回れる状態になり
この日を楽しみにしていた、園児・保護者の顔に笑顔の花が満開です。

定刻となり、入場口から園児が順番に入ってきました。
先頭は・・・、なぜか私の長男!!!!

どうやら、最近私に似てきて、よく食べるようになり
体つきも、私のようにメタボリック気味です。
体格がいい!!という事で先頭になったと思いますが。。。

体操から始まり、いよいよ競技開始!
一番最初は、年長組の「竹馬競争」です。

スタートラインに、目をやると。。。
トップバッターは、これまた私の長男!

正直、私が竹馬に乗れたのは、小学生の5年くらいだったと記憶してます。
はいっ、私はあまり運動神経のいい方ではありませんでした。

こんな私に息子は似て、しっかり竹馬に乗れるのか?
みんなの前で大恥をかくのではないか? 妙な心配が頭をよぎります。

と、その瞬間!スタートの合図

その合図に、一瞬出遅れた息子でしたが
スタスタスタスタっと直線からコーナーを軽快に周り
バックストレートを何食わぬ顔で颯爽と駆け抜け、トップでゴールを切りました。

どうやら、運動神経は私に似ず妻の方に似たようです。
ホッと胸を撫で下ろします。

思い起こせば、息子は2歳の時から
この保育園にお世話になってます。

一番最初の運動会の時は、まだヨチヨチ歩きで、
「かけっこ」なんかなるはずもありません。
先生と一緒にスタートし一緒にゴールするのがやっとでした。

目の前で繰り広げられている2歳児の競技(?)を見て
4年前の私の息子の姿を思い出し
ずいぶんと、大きくなったなぁ~と
子供の成長に驚くと同時に

私は、この4年、どんな成長をしたのだろうか?
お腹まわりの余分な気になる肉だけが
成長したのではないだろうか?反省の思いに駆られした。

と、反省している間に、
どんどんプログラムは進んでいき、
あっという間に、最後の種目、「紅白全員リレー」がやってきました。

毎晩、保育園の出来事を楽しそうに話してくれる息子の話では、
どうやら、本人は「赤組」のようで、
練習では、いつも「白組」に負けているようです。

自分の順番を待ち構える息子に目をやると
靴のマジックテープを締め直し、やる気満々!

そして、バトンを渡され、勢いよくスタートを切り
歯を食いしばりながら走る息子!
スタートからのリードを少し広げ、
次のランナーにバトンタッチ!!!!

正直、ホッとしました。

何しろ、私は本当に足が遅かったんです(今でも遅いんですが。。。)
私の記憶では、保育園、小学校時代は、
必ず、後ろから数えて一番でした。

リレーの時は、抜かれっぱなし(抜く事は一切ありません)で、
本当に本当に本当に嫌な思いをしました。

私に似て、足が遅かったら。。。。
そんな心配をしておりました。

リレーの結果は、二転三転して、赤組の勝利!
練習でいつも負けていただけに、息子は大喜びをしております。

閉会式の時には、もうこの保育園での運動会は
これで終わりかと思うと
ヨチヨチ歩きの時から4年間、

この運動場で、息子の走り回る姿がありありと思い出され
なんだか胸にこみ上げるものがありました。

4年間お世話になった、保育園と先生に
ありがとうの思いでいっぱいです。

これから始まる明るい子供の将来を楽しむと同時に
それは、お父さん、しっかり!!!お父さん次第!!!!
胸を熱くした、運動会でした。

それでは、失礼します。

細川 泰伸

第15号 2008年9月発行
「熱いけど、笑顔に満ち溢れた夏」

こんにちは、失礼します。
生搾りどくだみ青汁酒・十黒梅(じゅっこくばい)食援隊の細川泰伸です。

9月に入り、少し涼しくなってきました。
皆様いかがお過ごしでしょうか?

いやぁ~、今年の夏は、本当に暑かったですね
と、いうより、今年は北京オリンピックもあり、
本当に本当に熱かったですねぇ~

毎日毎日、北京のスーパーアスリートの熱さが
テレビ・新聞などからビンビン伝わってきて、
私なんか、もうもうシビレっぱなしでした。

柔ちゃん、内柴選手、北島選手、
女子ソフトボール、星野ジャパン・・・
その他、日本選手団が登場する度に応援に熱が入り、
時間の経つのを忘れる夜も何日もありました。

特に、女子ソフトボールの上野投手の連投熱投には
目頭がジンジン熱くなったのを今でも覚えてます。
金メダル、本当におめでとうございます。

外国人選手で特に印象深かったのは、
水泳のマイケル・フェルプス選手の神がかり的な泳ぎに、
ただただ、驚くばかりでした。

100mバタフライ決勝のゴール寸前
頭の位置は、2位の選手に負けているのに
タッチの差で、100分の1秒上回るすごさ、
国別の400mリレーでは、ラスト数メートルの大逆転
人間業とは、とても思えず、何度も録画の再生を繰り返しました。

それから、やっぱりいいですねぇ~
選手の皆さんの、笑顔!笑顔!笑顔!
練習に練習に練習に練習を積み上げ
4年に一度の大舞台で、力を出し切った満面の笑顔!
あの笑顔は決して作って出せる笑顔ではない!
そう強く感じました。

選手の懸命の姿に、本当に勇気付けられ、心が熱くなり
「熱いけど、笑顔に満ち溢れた夏」
感動のオリンピックを、ありがとうございました。

それから、私にはもう一つ
「熱いけど、笑顔に満ち溢れた夏」がありました。

それは、高知の夏のビッグイベント「よさこい祭り」です。
今年は妻と子供2人が、その祭りに参加したのです。
そうです、踊り子の連の中に入って、踊ったのです。

よさこい祭りは、全国的には
北海道のよさこいソーランの方が有名になりましたが
本家は、こちら四国の高知で毎年、8月9日~12日で行われています。

大音量を出すスピーカーを積み、思い思いの装飾をしたトラックを先頭に
チームそれぞれの音楽に、それぞれの衣装、それぞれの振り付けで
高知市内の演舞場で繰り広げられる「よさこい」は、
踊るもの、見るもの、全てを魅了してやみません。

かくなる私も、大のよさこいっ子でして
学生の頃は、大はしゃぎで、踊っていた時期もありました。
しかし、年を重ねるにつれ「ちょっと、体に堪えそう」という気持ちがあり
ここ数年は、見る専門に徹しておりました。

それもそのはず、猛!猛!猛!炎天下の中ですし
演舞場によっては、踊る距離が数キロもある所もあるのです。
体に堪えない方がおかしいのです。

そんな祭りに、7歳の長女が「踊りたい」と言い出した時は
体力的に心配をし、なんとかやめさせようと、妻と一緒に説得しようと試みました。

しかし、ミイラ取りがミイラになったとはこのことでしょうか、
当の妻の方が、「一緒に踊ろうか?」と言い出し
そして、「ボクも踊りたい」と5歳の息子まで言い出し、
とうとう、親子3人で踊ることになったのです。

えっ?私ですか?  私は、、、、カメラ係りに徹することにしました。
やっぱり、炎天下の中、踊るのは体力的にキツイですよ、本当に

7月初旬より、週3回程度の練習があり、迎えた本番の8月10日11日、
3人は、とうとう最後まで踊りきりました!
ええ、過酷な炎天下の中、しっかりと踊りきったのです。

そして、3人とも、踊りの上手な人や、笑顔で楽しく踊っている人が
演舞場の審査員から貰える「メダル」を首にしていました。

特に、妻は、本部演舞場でしか貰えない、通称「花メダル」というのを
「生まれて始めて貰おうた!」とニンニン笑顔で私に見せびらかしてます。

そして、一日中、炎天下の中、いくつもの演舞場を踊ってきたというのに
「暑い」とか「疲れた」とか、そんな言葉は一切なく、
「来年も踊りたい」「来年はお父さんも一緒に踊ろうや」と
汗だく衣装を着た3人が、ニコニコ笑顔で私を囲みます。

一生懸命に練習をして、本番でメダルを貰う!
よさこい祭りは、どこか、オリンピックに似たところがあるのでしょうか?

なんだか3人の笑顔が、オリンピックのメダリスト達の笑顔と
少しだけ少しだけ少しだけ、リンクしたような気がして、とても微笑ましく見えました。

その日ちょうど、家族ぐるみでお付き合いをさせて頂いている
長野県の親子が、はるばる高知まで遊びに来ていました。

私たちの様子を見たお子さんは、すっかり来年は踊る気満々です。
来年は、一人で先に高知にきて、我が家でホームステイ(下宿)して
しっかりと練習し、本番を踊りきるんだ!と目を輝かせてました。

「熱いけど、笑顔に満ち溢れた夏」
今年の夏ほど、そう感じた夏はありません。

来年は、下宿生(?)も増え
さらに、「熱いけど、笑顔に満ち溢れた夏」になると思います。

えっ!? 私もですか? 私が踊ったら、、、、
「熱苦しいけど、笑顔に満ち溢れた夏」になりそうで。。。。

来年のお楽しみですね

それでは、失礼します。

細川 泰伸

第14号 2008年8月発行
「細川泰伸 ダイエットプロジェクト」

こんにちは、失礼します。
生搾りどくだみ青汁酒・十黒梅(じゅっこくばい)食援隊の細川泰伸です。
今回は、7月の中頃、しばらくお休みしていたプールに行った時のお話です。

ロッカールームで、水着に着替えていると、
なんだか、水着が小さくなったように感じるのです。

誰か他の人の水着と間違えるはずもないし、妙に、おかしいなぁ~と思いながらも、
もしかして、間違えていたら大変だと思い、
一度、足を外し、中のタグに記されているサイズを確認!

どう見ても、縦にしても見ても横にして見ても
そこには、明らかに私のサイズの「O」のままで
決して、ワンサイズ下の「L」ではないのです。
はいっ!間違いなく、私の水着でした。

水着がそうやすやすと縮むはずがありませんので
と、いうことは。。。 私が「太った」ということになるのでしょうか?

そんな当然の図式の心配を、ちょっとだけ否定しようと、
必死になって、別の理由を必死になって考えてましたら

いつも、プールで顔を合わせる「おんちゃん」が来まして
(高知では、おおよそ30歳以上の男の人には、
40歳であれ、70歳であれ、愛称をこめて、おんちゃんと呼びます)

おんちゃん:「・・・・(一瞬、知らない人を見たような眼差し)
誰かと思うたら、サボリンピックの金メダリストか!」
私がずいぶんとサボっていたので、このように声を掛けてきました。
そしてさらに、
おんちゃん:「顔が違うき、誰かと思おうたやいかぁ~
しばらく見んうちに、肥えたにゃぁ~」と言うのです。
私:「ぇぇぇえええええ!!!!!!
見間違うばぁ~、肥えちゅうですかぁ~」と聞き正すと
おんちゃん:「間違いない、もしウソやと思おうたら
体重計に乗ってみいやぁ~」と笑いながら言うので
私は顔は笑いながら、気持ちは冷や汗ダラダラで、体重計に乗りますと。。。。

なんと!!!!!!!!
7kgアップの重量が
デジタル表示されているではないですか!!!

そういえば、ここのところ、プールを休んだ事はもとより
自転車通勤も、梅雨時の雨を理由に、
「朝は晴れていても、夕方は雨かもしれない」と車通勤をしてました。
朝のウォーキングもさぼってましたし、
食事も不摂生をしてました。
飲み会も誘われると、二つ返事でスキップをして行ってました。

反省することばかりで、プールに入るといつも顔を合わす別のおんちゃんが
おんちゃん:「太いがが入ったらいかんプールの水があふれて、無いなるやか」と
アルキメデスの法則を利かした冗談(?)をぶつけてきました。

その後、顔を合わす人、顔を合わす人が異口同音に
「太った」「肥えた」「メタボ」「腹がポニョポニョ」・・・と声を掛けてきます。

そう言えば、最近よくウチの子供達が私の前で、
「ポ~ニョ♪ポ~ニョ♪ポ~ニョ♪」と
映画『崖の上のポニョ』の歌を歌っておりますが
これは、もしかしたら、私のお腹をみて「ポニョポニョ」と歌っているのでしょうか?

ここはもう、私にはダイエットをする道しかありません!

【1】朝は1時間ウォーキング
【2】通勤は、自転車、
【3】プールは休まない
【4】暴飲暴食はしない
【5】飲み会は・・・・どうしてもの会だけ行く(ちょっと声が小さい)
という、5つの決め事をしました

それでっ! 2週間が経過! ええ、頑張りました、
朝は欠かさず歩きましたし、通勤は自転車で頑張りました
プールも欠かさず行って泳ぎましたし
暴飲暴食もしてません、飲み会にも行ってません。

2週間、なんとか、頑張りました!
何だか、ズボンもちょっとゆるくなったよう気がしております。
(妻が横で、ズボンが伸びたんじゃない?と言っております。)
まぁ~、確かにベルトの位置が変わってませんので
妻の言うことが本当なのかもしれません。

しかし!ベルトの位置で判断するのはちょっと話が早すぎます。
大体、お腹の肉が一番落ちにくいとしたものです。
ここは、ベルトで測るよりも、この2週間の成果を確実に測れるものがあります。

そうです!体重計です!デジタル表示で、正確無比に、
この2週間の成果を公然と見せてくれます。

ええ、頑張りましたから、この2週間
自信満々に乗りました、体重計に!
体重が落ちているのは、当たり前でしょう!

・・・でっ!その数字を覗き見る妻
体重計の上で、腕組みをしてニンニンしている私に
妻:「あんまり変わってないよぉ~」とニタニタと。。。。

そんなはずは。。。。と自分の目で、そのデジタル表示を見ると
そこには。。。。紛れも無く
7kgアップの数字があるではないですか!!!!

(───┬───__───┬───)
思いっきり泣いてます。

ダイエットは1日してならず
改めて、そう実感致しました。

まぁ~、しかし、2週間では、成果も出ないでしょうし
朝1時間歩くと、1日何だか体に張りがあって気持ちいいんです。
自転車通勤だと、ガソリン代も気にならなくて済みます。
プールで泳ぐと、泳いだ後のビールの味が最高です!

あっ!このビールがいけないのでしょうか?

ともあれ、「継続は力なり」という言葉を信じて
続けれる事だけ、続けるよう頑張りたいと思います。

それでは、失礼します。

細川 泰伸yasu051

 

第13号 2008年7月発行
「一年に一度、ドクダミの季節、ドクダミ石鹸・化粧水にチャレンジ♪」

こんにちは、失礼します。食援隊の細川泰伸です。

岩手県・宮城県の地震災害のニュース、本当に心痛む思いがしております。
それから、九州の大雨の知らせ
当地・高知でも10年程前に大雨の被害があり
その時の悲惨な状況が、まざまざと思い出されました。
被災されました皆様、心よりお見舞い申し上げます。
1日でも早い復興を切にお祈り申し上げます。

こちら高知の方は、梅雨明けが待ち遠しい今日この頃、
山には、ドクダミが雨の雫を受け、葉がつやつやとしています。
中には花が、もう枯れ始めているところもありますが
ドクダミにとっては、今が一年の中で一番いい季節です。

そこで今回は、ドクダミを使った
「ドクダミ石鹸の作り方」「ドクダミ化粧水」の作り方をご紹介します。

《ドクダミ石鹸の作り方》

ドクダミの青汁約200mlを加熱し、
この中に市販の化粧石鹸1個を
削って細かくしたものを、徐々にいれて溶かします。

【注意】
このとき、火加減に注意し、
吹きこぼれないように、
焦げつかないように、冷えないようにします。
直火でするほうが楽ですが、
焦げやすく、吹きこぼれやすい欠点があります。

時間がかかっても、きれいな石鹸にしたければ
湯煎で溶かすようにします。

よく溶けて混ざったら火を止め、
かき混ぜながら冷やします。

【補足】
ドクダミを多く入れたければ、
青汁を煮つめたもの
約200mlを入れます。
この場合は、濃度にもよりますが、
かなり多量のドクダミが必要です。

生のドクダミがない場合は、
乾燥したドクダミの煎液を
同様に200ml入れれば作れます。

●ポイント
よく冷えるまでかき回し続ける事が大切です。

《ドクダミ化粧水の作り方》

【1】青汁とグリセリンによる化粧水

ドクダミの青汁は1~2日おけば、悪臭がなくなるものですから
多量に青汁を作っておき、冷蔵庫で保存します。
この汁を、化粧水や化粧の下地として、
また洗顔後の肌の手入れ用にお使い頂けます。

ドクダミの青汁を夏に室温で数日間放置すれば、
腐敗したようになり、ドクダミの臭いが消えていたのに、
再び、嫌な臭いが生じるようになります。

それを防ぐには、多量のドクダミが採れたなら、
1~2割のグリセリンを混合するほうがよいと思います。

ただこの場合、かすかなべとつきが生じて、
使用後感が少し悪くなります。
しかし、生のドクダミの持っている粘液物質と
グリセリンとが混ざり、適当な保湿性をもった化粧水となります。

また、できたドクダミ化粧水に臭いが残った場合には、
臭い消しのために、1割程度のレモン汁を入れるのも一つの方法です。
完全には消えませんが、それ程気にならない程度になります。

【2】青汁と純米酒による化粧水の作り方

無添加純米酒が手に入るなら、酒一升に
ドクダミの青汁(2日間冷蔵庫でねかせたもの、または、
青汁を電子レンジで加熱したもの)をコップに3杯程度
(約600ml。量は増減してもよい)の割合で入れ、
台所などの涼しいところで、約1ヶ月間、
ねかせたものを化粧水としてお使い頂けます。

一年に一度のドクダミの季節、
是非、ドクダミ石鹸・ドクダミ化粧水作りに
チャレンジしてみてはいかがでしょうか?

皆様のイキイキ元気生活のお役に立てれば何よりです。

それでは、失礼します。

細川 泰伸