投稿者「Yasunobu Hosokawa」のアーカイブ

第11号 2008年5月発行
「大自然に、地元の皆様にありがとう、アメゴ釣り大会」

こんにちは、失礼します。
生搾りどくだみ青汁酒・十黒梅(じゅっこいばい)の食援隊、細川泰伸です。
いつもいつも、十黒梅(じゅっこくばい)をご愛飲頂きまして、本当にありがとうございます。

4月20日大安吉日、家族4人で、四万十川が流れ、大自然豊かな
高知の西部・中土佐町大野見地区に行ってきました。

この日は、この大野見で「アメゴ釣りな祭」というイベントがあり
家族4人は、前日から本当に楽しみにしていました。
(一番は、どうやら私のようでしたが・・・)

午前7時、釣りスタートというスケジュールで、6時過ぎに現地に到着したのですが、
すでに、車はいっぱいです。中には、関西地区のナンバーの車もあり驚きです。

前日にニンニンして作った仕掛けをセットし、エサをつけ
子供に竿を持たせ釣り開始の合図を待ちます。
場所は、子供用に特別に石で囲って作ったイベント用の池です。
(子供用ですから、入れ食い状態の釣堀です)

そして、合図ともに、その入れ食い状態の子供用の池に第1投を!
竿が!クイっ!クイっ!いきなり、小学校2年になったばかりの長女にアメゴがヒット!
そして、年長さんになった長男の竿にも続いてアメゴが!!!!
長女も長男も本当に大喜びです。

私が小学生だった頃は、川や池や海に、竿をもってよく出かけたものでした。
小学生が竿を片手に自転車に乗っている光景も当たり前だったように思います。

最近では、そういった事も少なくなり、たまには、
自然の中で魚を釣る楽しさを味わって欲しいなぁと思って、
足を運んだイベントでした。長女と長男の大喜びの顔を見て、
少しは父親らしくできたかなぁ~と嬉しくなり、
第2投、第3投と、調子にのって次のアメゴを狙います。

がっ!事は順調に進まないのが世の常、
狭い池に多くの子供が殺到しているので糸が絡んで大変です。
縺れては、解き、解いては縺れ・・・・また、アメゴの仕掛けなので仕掛けが細く
解くのが大変で、結局は切って、はじめから作り直す始末。
まぁ~、釣りとはこうしたものでしょう。
結局、2時間あまりで、12匹ほどの釣果で大満足の4人、

しかし、ここからさらに凄い事が待っていました。
竿をたたみ、お昼ご飯を食べるよう、イベント本会場に足を運んだところ
途中で、「ニラ投げ大会」のイベント会場にぶつかったのです。

そうです。ニラレバ炒めや、ニラ玉など思わずビールが進む、
あの人気メニューの主役の「ニラ」です。
大野見では、ニラを生産されている農家さんが多く、
PRの一環で「ニラ投げ大会」が企画されてました。
(陸上の槍投げ競技の槍の代わりに、
ニラを一本投げ、その飛距離を競う競技です。)

参加賞に「ニラ」が貰えるということで
妻:「タダでニラが貰えるき、出よう♪」と目の色を変えてエントリーしました。
(どうやら、今夜のメニューはアメゴの塩焼きとニラ玉で決まりのようです)

エントリーナンバー1番の方から順番に、力いっぱい、ニラが遠投されます。
がっ!その投げる力とはウラハラに、ニラは「ふわりぁぁあああん」と宙を舞い、
数メートル先の地面に力なく落下します。
ニラって、結構前に飛ばないんですよぉ~

満を持しての地元の野球少年の登場! ビュっ!と投げたニラが
グイィ~と弧を描き、7m65の今大会新記録が叩きだれました。
いやぁ~、さすが野球少年、飛ばないニラを7m65も飛ばすとは・・・

その後、なかなかそのレコードが、破られずにいましたが
(ニラって、本当に遠く飛ばないんです)
地元の学校の先生が登場し、意地の投ニラ(?)で、8m20の大記録が出ました。
さすがは、先生! 生徒には負けれん!という熱い思いがあったのでしょう。
地元の学校の一コマを垣間見たようで微笑ましいです。

そして、いよいよ私の出番!
長女&長男「ぱぱぁ~、がんばってよぉ~」という、
元気100倍の声援を受け、ニラを右手に持ちます。

まぁ~しかし、いくら元気100倍になったとはいえ
そもそも、遠投とか、この手の競技は、生まれた時からいい思いをした事はありません。
参加賞狙いの軽い気持ちで、振りかぶろうとしたその時!私の後ろから、
強烈なその日一番の突風が吹いてきました。(きっと子供達が吹かしてくれたのでしょう)

まさか、この風に乗ればっ!そんな、超ぉ~甘い考えが頭に浮かび
渾身の思いを込めてニラを投げると・・・・

その、超ぉ~甘い考え通り、その風にニラがドンピシャで乗り
ニラが大きな弧を描き、着地!その距離、なんと9m10!!!!!!

大会新記録(今年で2回目らしいですが)の大記録が飛び出しました!
いやぁ~、驚き、桃の木、山椒の木とは、まさしくこの事で本人が一番ビックリしてます。

結局、この記録が最高で、子供達が吹かしてくれた、あの神風のお陰で優勝しました。
子供達には、いい所を見せることができ本当にいい思いができました。

その後は、地元で獲れたイノシシのシシ鍋、七面鳥の焼き鳥に舌鼓を打ち
メインイベント、子供達が一番楽しみにしていた「アメゴつかみ取り大会」を待ちます。

開始30分前に、そのイベント会場に行きベストポジションをキープします。
長女・長男の目はギラギラで半ズボンに素足で池の中に入り
虎視眈々と池の中に放流された獲物を狙っています。

池の中には、アメゴの他にも、マスそしてウナギが放流され
開始5分前には、東京の山手線を彷彿させるひしめき合い!
こんな田舎に、こんなに人がいたのか?目を疑う思いです。
スタートの合図に、池に飛び込む子供達
しかし!あまりの人の多さに、水が濁ってしまい、獲物が全く見えません。

しばらくすると、30cmを越える大きなマスを両手につかんだ長男が
「ぱぱぁ~、つかまえたぁ~」と雄たけび!

長女はというと・・・  少し怖がって、なかなかうまくいきません。
でも、本人はどうしても捕まえたくて捕まえたくて・・・

30分程、過ぎたあたりでしょうか、
長女の両手に、黒いニョロニョロしたものが見えました!
そうです!念願の獲物!ウナギがそこにありました。

腰につけたビニール袋に、驚いた表情をしながらも、一生懸命になって
ウナギを入れるその姿に思わず「がんばれぇ~!」と声援が飛び出ました。

無事に、ビニールの中に捕まえたウナギを入れた長女の表情は
今までに見た事のないホッとした表情で
いつもは見えない長女を見ることができ
何とも言えない温かい気持ちになりました。

その日の長女の日記にも
「うなぎは、こわかったけど、うれしかった」とあり
本当に怖かったんだろうな、
でも、本当に嬉しかったんだろうな
妻と目を合わせ、微笑ましく感じました。

大自然を思いっきり満喫できた「アメゴ釣り大会」

自然は、私たちに「嬉しい」とか「温かい」とか
時には「怖い」とか「悔しい」とか、
いろんな感情を教えてくれる。と感じました。

楽しい思いができた「大自然」に
そして、大野見の地元の皆様に、
ありがとうの気持ちいっぱいです。

それでは、失礼します。

細川 泰伸
yasu-amego

第10号 2008年4月発行
「ニコニコ笑顔の卒園式」

こんにちは、失礼します。
生搾りどくだみ青汁酒・十黒梅(じゅっこいばい)の食援隊、細川泰伸です。
いつもいつも、十黒梅(じゅっこくばい)をご愛飲頂きまして、本当にありがとうございます。

桜の開花が寸前のうららかな陽気に包まれた3月22日土曜日の事
私の長男が通う保育園で、卒園式があり、私は出席してきました。

長男は、この4月から年長組です。もう一年お世話になる事になりますので
本来ならば、この式の卒園児の保護者ではない私は、出席できないのですが、
式の在園児保護者・挨拶の大役に指名され、出席しました。

昨年のこの日は、長女が同じ保育園を卒園した日です。
もうあれから1年も経ったのかと思うと
あっという間の1年だったと月日の速さを感じられずいられません。

門をくぐり、子供用の天井のちょっと低い教室に入ると
真ん中には、これから子供たちが座る、
これまた子供用のかなり低い椅子がずらっと並べられています。

その奥に、保護者用の椅子が並んでおり
この日を楽しみにしていた卒園児の保護者の皆さんが座っていました。

中には、子供を迎えに行った時にちょくちょく顔を合わせる方もいて
軽く会釈をして、指定席に腰を下ろし、
これから挨拶で話す内容を書き留めた台本(カンニングペーパー)を
ポケットから取出します。

私は、中学・高校の時には、学校の弁論大会に2度出た経験もありますし
友人の結婚式では、友人代表や司会の経験も何度もあります。
会社では、毎日の朝礼や会議とかで話をする事が多く
やはり、そういった経験がものをいっているのでしょうか
「人前で話す」というのは、それほど苦にしているわけではありません。

しかし、今回は今までのようにはいかないと
妙な緊張感、独特な緊迫感を感じられずにいられません。

なぜかというと、今回スピーチする相手は「保育園児」です。
保育園児に分かりやすい表現で話す必要があります。

前日の台本作りには妻と大討論の大騒ぎで
あらかじめ数日前より、こんな事を話そうかなぁ~と
軽くまとめたものを妻に話すと

「そんな内容では、子供が分かるわけがない、もっと分かりやすく」とか
「そんなにたくさんの事を言うと、子供が理解できない」とか
当日、どちらがスピーチするのか分からない状況でした。
(まぁ~、それだけ真剣に考えてくれているのでしょうが・・・)

あ~だ、こ~だと大騒ぎしながら
いろんな事を話すよりも内容を一点に絞った方がいい
自分たちの子供達に一番伝えたい事をテーマにしようと話合い

「ニコニコ笑顔」をメインテーマにし、
「笑う門に福来る」「ニコニコ笑顔にはいい事が多いと言われている」
「小学校に入ったら、ニコニコ笑顔でたくさん友達を作ってね」
などなど肉付けし、わかりやすさ重視でようやく台本が出来上がりました。

台本(カンニングペーパー)に目を通す事3回
定刻になり、かわいいフォーマル姿の卒園児が教室に入ってきました。
みんな、しっかりさんになって、自分の席に座ります。

司会の先生からの式の開始の挨拶があり
卒園証書の授与、園長先生の挨拶と順番にプログラムが進みます。
後ろや横から卒園児の保護者さんの啜り泣きの声が聞こえ
教室は、感動の空気に包まれていますが
私だけは、変な緊張感に包まれ、妙に落ち着かないまま、時が流れます。

司会の先生:「在園児保護者挨拶、細川さんお願いします」
とうとう、私の順番がやってきました。

壇上(壇上といっても低いのですが・・・)に上がり
さぁ!これからスピーチ!と思いきや
私の視界に、保育園児の顔がないんです。

そうなんです。スピーチをする相手は保育園児なので、
いつも朝礼や会議で話をしている相手の高さではありません。
ずっと、ずっと、ずっと下に保育園児の顔があるんです。

別の世界にきたようで、一瞬、気持ちがグラグラっときましたが、
ここは、しっかりとしなければなりません。
グッと息を飲み込み、スピーチを始めました。

「できるだけ、ゆっくり」
「できるだけ、わかりやすく」
「ニコニコ顔で」

前の夜、妻からアドバイスをもらった
この3つの注意点を意識して・・・

話すべき事は全て話し、挨拶をして席に戻った時は
本当にホッとしたというか、無事に終わって気が休まったというか
今までとは違う安堵感に包まれながら
卒園児のしっかりさん達のあまりの愛らしさに
心を奪われ式を楽しみました。

後日、保護者の方々や先生から
「あの時のスピーチはすごく良かった」
「子供がニコニコ笑顔のお話を覚えてくれてた」
「卒園の門出にいいお話をありがとう」
などなど、嬉しいお声を頂きました。

改めて、しっかりスピーチできて本当に良かった
これもそれも妻の大激論、アドバイスのお陰だと感謝したことでした。
と同時に、自分も今まで以上に「ニコニコ笑顔」でいるよう
心がけたいと思います。

それでは、失礼します。

細川 泰伸

第9号 2008年3月発行
「久しぶりに心がジジジィィィ~~~ンとなる本を読みました。」

こんにちは、失礼します。
生搾りどくだみ青汁酒・十黒梅(じゅっこいばい)の食援隊、細川泰伸です。
いつもいつも、十黒梅(じゅっこくばい)をご愛飲頂きまして、本当にありがとうございます。

先日、久しぶりに心がジジジィィィ~~~ンとなる
本を読みました。
その本は「ビゴのフランスパン物語」という本です。

この本を読むにあたり
なぜ、読む気になったのか、なぜ、選んだのかといいますと
理由は、3つあります。

まず、1つ目は
知人の紹介です。その方はいつも私にすばらしい本をご紹介くださり
今回も、この方の推薦なら間違いないと感じました。

そして、2つ目は
元来、私は食いしん坊で食べることが大好きです。
食の道一筋でずっと来たのも、好きだったからだと思います。
ビゴさんが指導した「ドンク」のフランスパンを初めて食べた時
パンの皮が、カチカチで最初はとても食べれなかったのですが
口の中で何回も噛んでいると、なんとも言えない旨みが広がり
それまで私が食べてきたパンの世界を一新させる程の強烈な力があり
すっかりファンになってしまっていました。
そのビゴさんのフランスパンの秘密を少しでも垣間見れれば・・・
そんな思いがありました。

最後に3つ目は
ビゴさんは、日本にフランスパンを広めた第一人者の方です。
今までなかったものをゼロから広めるという意味では
今、私どもが皆様にお届けしております「十黒梅」と
どこか、共通しているところがあるのではないか?
そう感じたからです。

本を開き、読み進めていくと
そこに書かれているビゴさんは
一言でいえば「下町のがんこおやじ」というか
華やかという言葉とは程遠い
地道で頑ななビゴさんがありました。

深夜12時から、ただひたすら、
お客様が喜び、自分が納得のできるパンを
作り続けています。

ビゴさんのパンは、まるで自分の子供を
生み育てるようなパン作りの印象をうけました。

ビゴさんのプランスパンの材料は
何かものがあるかといえば
全くそうではなく、水・小麦粉・塩・酵母のこの4つだけです。

そして、特別なレシピやマニュアルがあるかと思えば
これまたそうではなく、その日その日の状態で
練り具合を目で確かめ、指で確かめ、香りで確かめ
音で確かめ、味で確かめながら作っていくものでした。

それは、パンは、材料を醗酵させ、焼き上げて作ります。
その日の天候、温度や湿度によって
醗酵の具合が変わってきます。

マニュアル的に、分量や混ぜ合わせる時間・力を同じにしては
その日のそれらの自然の状態によって、
醗酵が進まなかったり、逆に進みすぎてパンにならないのです。

ですから、五感を研ぎ澄ませ
それら自然の状態の中で、材料をベストの状態に合わせる事が
おいしいパン作りには必要になってくるのだそうです。

本を読み進めいくと、

ビゴさんは、掃除を徹底する
ビゴさんは、材料を無駄にしない
ビゴさんは、決して手を抜かない
ビゴさんは、頑なフランスパンの文化を守り続けながらも
日本の文化も容認し、パンに活かしている
ビゴさんは、陽気な関西弁でユーモラスに誰にでも話しかける
という人物像が伺えました。

そして、読み終わった時に
なぜ、ビゴさんのフランスパンが日本中に広まったのか?
なぜ、ビゴさんを日本のパン職人が慕ったのか?
その答えを私なりに考えると

マニュアルに頼らず、五感を大切にする製法にしかり
掃除の徹底や、材料を無駄にしないところ、手抜きをしない
文化を大切にするところ、ユーモラスなところ

すべては、お客様においしく食べて頂く「思いやり」
物や材料に対する「思いやり」
一緒に働く人への「思いやり」が
大きなコアの部分になっているように強く感じました。

私たちの身の回りを見渡したとき
中には、マニュアル至上主義的で、どこか「思いやり」の気持ちが
欠けている事も一部に見受けられるような気がします。

私の経験でも、そのような事が過去にありました。
それは、学生学時代のステーキ屋さんでのアルバイトの事です。

アルバイトの初日そうそう、
私は全く予想をしていなかった一言、
「細川君、肉を焼いて」と言われたのです。

私は、正直驚きました。
それまで、全く調理経験はありませんでしたので
料理を運んだり、皿洗いをする事が
アルバイト先での私が担当する仕事だと思ってました。

目を丸して驚く私に、
「ここにタイマーがあるでしょ
肉を鉄板の上に載せて、タイマーを押すと
数分後に一回目のタイマーがピピッと鳴るから
そしたら、肉をひっくり返し裏面を焼く
それから、数分後にもう一回タイマーが鳴ったら完了
お皿に、肉を移して、ソースをかけて出来上がり
ねっ、簡単でしょ、ここにそのマニュアルが書いてるから
読みながら焼いてみて」と、
先輩は、気のない声で淡々と教えてくれました。

私は何か違う気がして、お店のオーナーにこの事を相談すると
「マニュアル化する事で誰でも焼けるようになる
誰でも焼ける事で、賃金の高い職人さんでなくてもよくなるし
職人さんごとの味に頼らなくてよくなり、いつも同じ味になる
だから、お客様に、いつも安くステーキをご提供できる」と
いう返事が返ってきました。

確かに、お客様に安価に安定した商品をご提供することは
お客様に、大きなメリットがあります。
しかし、私は心の中で何か違和感を感じていました。

今思うと、それは、
「食べる人を思いやる気持ちが大事」
ではないだろうか思うです。

単なるアルバイトでも、いくら資格をもった職人さんでも
食べる人への思いやりがなければ、きっと、それはいいものではない、
おいしいものではないと思うのです。

それを考えると、お母さんの料理がなぜおいしいのか?
それは、家族を思う愛情たっぷりだからではないでしょうか?

近年、食品業界で不祥事が相次いでいます。
内情はよく理解できていませんが
何か、「相手を思いやる気持ち」が
欠けている事が原因のように感じています。

十黒梅は、「家族に食べさせたい、飲ませたい」を
商品開発の大きな柱にして出来上がりました。

ビゴさんの思いとどこか通じているところがあるような気がして
少し嬉しくなると同時に、今後の商品開発も、この思いを大切にしたいと
「ビゴさんのフランスパン物語」を読んで改めて強く感じました。

今回、すばらしい本に巡り合えて、本当に良かったです。

それでは、失礼します。

細川 泰伸

第8号 2008年2月発行
「いろはかるた」は奥が深い

こんにちは、失礼します。
生搾りどくだみ青汁酒・十黒梅(じゅっこいばい)の食援隊、細川泰伸です。
いつもいつも、十黒梅(じゅっこくばい)をご愛飲頂きまして、本当にありがとうございます。

1週間程前の事、5歳の長男が泣きべそで帰ってきました。
その理由を聞いてみると・・・

「自分だけ、一枚も『かるた』が取れなかった」というのです。

よっぽど悔しかったのでしょう。何枚も取っているお友達がいるのに、
本人は、一枚も取れなかったのですから、

それ以来、毎晩のように
私:「い!!!・・・犬も歩けば棒にあたるぅぅううう!」
長女&長男:「はいっ!はいっ!はいっ!」
私:「は!!!・・・花より団子ぉぉおお!」
長女&長男:「はいっ!はいっ!はいっ!」
私:「か!!!・・・かわいい子には旅させよぉぉおお!」
長女&長男:「はいっ!はいっ!はいっ!」と猛特訓をしております。

長女は7歳ですから、長男にしてみたら大敵です。
保育園のお友達のようにはいきません。

まともに戦ったら勝ち目はないと気づき、
長男:「おねえちゃん、ちょっと、うしろをみよってぇ~」と
長女の目をかるたの盤面からそらせ、
長男:「おとうさん、これ言うてぇ~」と一種のインサイダー取引のように、
自分の一番手前にある「かるた」を指差します。

それで、まぁ~ハンデみたいなものと、私がそのリクエストに応じ、
私:「と!!!・・・灯台ぃ・・・」
長男:「はいっ!」と小さな手をいっぱいいっぱいにして
パシッ!!!とかるたを押さえニンニン笑顔満点!

長女は、長男のその嬉しそうな顔を見て悔しがり、さらに闘志をメラメラと・・・
長女:「じゃぁ~、おかあさんの取った分と合わせて勝負!」と
お母さんを味方につける「鬼に金棒戦術」!

お隣さんの方もビックリするくらい白熱しております。
いやぁ~、「いろはかるた」は本当に楽しいですね。

それで先日、保育園でもう一度「かるた遊び」があったようでして、
3枚ほど取れたとか\(^o^)/!!
いやぁ~、本当に良かったです。猛特訓の甲斐がありました。

もう悔しい思いをしなくて済む。これで、しばらく「かるた」から離れ、
ゆっくりできるとホッとするのも束の間、今度はすっかり得意になったようで、
長男:「おとうさん、きょうも、はようかえってきて、かるたしてよぉ~」
しばらく、かるた特訓は続きそうです。

そんな「いろはかるた」、私も小さい頃は、よくやりました。
祖父母の家に親戚が集まった時なんかは、
決まって、この「いろはかるた」で遊んだものです。

おばあちゃんの「も!門前の小僧、習わぬ経を読む」の声に
よく間違って「ま」取ったりしました。
私はこのかるたで「ひらがな」を覚えたようなものです。

そう考えると「ひらがな」を覚えるのには、
「いろはかるた」は最も適した遊びなのかもしれませんね。
実際、今まで長男に「ひらがな」を教えても全く興味を持ってくれませんでした。

お風呂場に「ひらがな表」を貼って、指差しをしてみても
「馬の耳に念仏」といいましょうか
長男:「ほそかわの『い』!!!」などと、ふざけて覚えてくれませんでした。

それが、「かるた」になると
長男:「おとうさん、これどうよむがぁ~???」と、目の色を輝かせているのです。
これを機に、「好きこそものの上手なれ」
少しでも好きになって「ひらがな」を覚えて欲しいなぁ~と思っています。

それから「いろはかるた」は、本当に奥が深いと改めて思いました。
なにしろ昔の人が後世に残してくれた教訓の「ことわざ」を
フル活用しているところがすばらしいと思うのです。

遊びながら、「ひらがな」と「ことわざ」を覚える
まさしく「一石二鳥」いや「一石三鳥」ではないでしょうか?

「遊び」を「遊び」で終わらせるのではなく、「遊び」を通じて何かを学ぶ。
本当にすばらしい事だと思うのです。
また昔の「遊び」は、そうしたものが多かったように感じますし、
遊ぶものが少なかったので、あるもので工夫して遊んだ。そのようにも思います。

何もかも進歩した今の世の中
いわゆるゲーム機が、子供の「遊び」の大半を占めるようになりました。

私の2人の子供も類に違わず、小さな手のひらサイズのゲーム機に熱中しております。
決してゲーム機を否定するわけではありませんし、
中には、そのゲーム機を通じて学習するものもあります。

しかし、機械相手に遊ぶことよりも、友達や大人を相手に遊ぶ事の方が、
子供にとって大切な事を感じるのではないだろうか?そう思っていました。

そんな折、突如私たちの目の前に現れた「いろはかるた」は、
千載一遇のチャンスといえば大げさかもしれませんが、
「え!!!!得手に帆をあげる」
このいい機会に、子供と思いっきり楽しみたいと喜んでいます。

それから、「いろはかるた」のように、こうやって昔からずっと残ってきたのものは、
本当にすばらしいものが多い。いや、すばらしいからずっと残っていると、
異口同音、妻と話し合いました。

そして「生搾りどくだみ青汁酒・十黒梅(じゅっこくばい)」に目を向けると
平安時代から伝わる「どくだみ」も「いろはかるた」のように遥か永い時を超え、
今もずっと続いているすばらしい薬草であると力強く感じ、
こうして、どくだみに携わり、皆様のお役に立てる幸せをありがたく感じております。

妻:「へ!!!・・・下手の長談義」
私:「はいっ! あっ!!!!」
どうやら、長々とダラダラと話すのは、話が下手のようです。

この後は、「ろ!!!論より証拠」?
この「十黒梅」の開発にご協力頂きました薬学博士の先生のお話や、
たくさん頂きましたお客様のお声をご紹介させて頂きます。
最後に
「じ!!!十黒梅で今日も一日イキイキ元気♪」

それでは、失礼します。

細川 泰伸

第7号 2008年1月発行
「本年もどうぞよろしくお願いします。」

新年あけまして、おめでとうございます。食援隊の細川泰伸です。
昨年は、生搾りどくだみ青汁酒・十黒梅をご愛飲頂きまして本当にありがとうござました。
皆様から頂きました、嬉しいお声に励まされ
お陰様で、とってもとっても明るいお正月を迎える事ができました。
今年も、皆様のお役に立てるよう頑張ります。何卒、どうぞよろしくお願いします。

さて、その「とっても明るいお正月」
私は、家族4人で、初日の出を見るべく、
地元・高知の最南端の「足摺岬」で迎えました。

お正月に家族旅行をするのは、生まれて初めての事です。
また子供2人は、まだ海から出る日の出を見た事がありません。
それから4人で初日の出を見るのは初めてという事で、
旅行計画中から、ドキドキワクワクです。

2008年のスタートに足摺岬を選んだの3つの理由があります。

【1】足摺岬から見る初日の出は絶景という事
【2】最南端という事で、新年、気持ち切り替えての新しいスタートにふさわしい
【3】すぐ近くので「奇岩フェア」というイベントがあった

【1】【2】は、地図をご想像頂くと分かると思うのですが
【3】は、少しだけ詳しく説明させて頂きます。

1970年7月1日竜串の海は、日本ではじめて海中公園に指定されました所です。
海岸は3000年から6000年かけて風蝕によって、
砂岩がいろいろな形に形成された奇岩が広がり
まさに自然が想像できない年月をかけて作り出した芸術が広がる景勝地です。
県保護文化財に指定されています。また海中に広がるテーブルサンゴは圧巻で
特にシコロサンゴ群落は、国の天然記念物に指定されています。

私は小学生の時に、一度祖父母に連れてきてもらった事があり
その時、波風の自然の想像すらできない凄い力に、
初めて強烈に感じた記憶がありました。

自分の子供たちにも、自然のとてつもない力を感じて欲しい
この竜串の地に、一緒に来たいという思いが頭の片隅にありました。
ただ、岩の名前や由来などなど、どうしてこのような奇岩ができたのか?
ここをしっかりと子供達に教えてあげて
初めて自然の凄さを感じて貰えるのかなぁ~と、思っていました。

そんな折、竜串の「奇岩フェア」とニュースが目に留まったのです。
地元の方がボランティアでガイドをして頂けるとの事で、
まさしく、私の希望の内容だったのです。

大晦日に、我が家を出発した私達は、ひたすら、ただひたすら、車を西に走らせます。
皆様もご存知の通り、高知県は東西横に長広い県です。
目的地の足摺岬まで約4時間半の道のりです。

途中、最大の難所の久礼坂という、大きく右に左に曲がりくねった
急カーブが続く上り坂のところで、突然!雪が降り始めました。

高知で雪を見るのは、一年のうちに数える程ですから、
車のタイヤはもちろん普通のタイヤです。
何も1年の最後に、山道でのこの雪に、
ツイてないとハンドルを握る手に汗をかきましたが
雪を見て、大大大大大はしゃぎ子供を見ると、
アンラッキーが超ラッキーに思えるのは不思議です。
2007年の最後に、雪を楽しめた事が、とても嬉しくなりました。

黒潮町の松林(白浜と松林は絶景)、最後の清流・四万十川、
大岐の浜(ご存知ない方、一見の価値あり)など
自然が織り成す風光明媚な風景を窓越しに楽しんで、やっと辿りついた「足摺岬」
その断崖絶壁の先端近くに立つと・・・
視界いっぱいに広がる太平洋に思わず心を奪われました。

2007年、生搾りどくだみ青汁酒・十黒梅をやっと製品化でき、
お陰様で皆様にご愛飲頂けるようになりました。
その開発の過程で、いろんな壁がありましたが
目の前の大きく広がる海を見ていると、
どれもこれもちっぽけに思えてなりません。
まさしく2007年の年忘れにふさわしい大海原に感謝し
2008年は、この大きくゆったりとした海のように
気持ちを大きくもちたいと感じました。

ホテルに入り、地元の海の幸に舌鼓を打ち、
紅白歌合戦を見て、私たちの一年は無事に終わりました。

そして迎えた新年、待ちに待った初日の出です。
私達は、小雪が舞う中、展望台に上り、じっと東の水平線を見つめます。
この日のその方角には大きな雲が広がっていて、
もしかしたら・・・と、不安が広がりました。

待つ事、30分!だんだん空が明るくなってきました。
寒がる子供を抱きかかえ、何とか雲の間から太陽が出てきて欲しい、
一年の最初に、すばらしい日の出を子供に見せてあげたい
そんな気持ちでいっぱいで、東の空に期待をしました。

しかし、私たちの願いは叶わず、太陽は姿を見せてくれません。
残念な気持ちであきらめかけたその時、
まわりの人たちから「おぉぉぉおおおお」と一瞬歓声があがりました。
後ろを振り返ると、そこには
雲の隙間から太陽の陽が鮮やかに射しこむ幻想的な世界が広がってました。

近くにいたご年配の方の
「初日の出は見えんかったけんど、きれいなえいもんを見せてもろうた」
という声が私に届いた時、横にいた妻も同じ事を感じたようでで、
本当にその通りだと、妻と目を合わせて思いました。
厚い雲のお陰で、この幻想的な世界を新年早々に味わえたのです。
もしかしたら、雲のない太陽の姿よりも、ずっと良かったのかもしれません。
いや、きっとそうだと思います。

改めて、東の空に手を合わせ
今年一年の家族の健康と皆様のご健康をお祈りしました。

その後は、楽しみにしていた竜串海岸です。
元旦から、ボランティアでガイドを引き受けて頂いた方には本当に感謝です。
1時間ほど、鯨岩・大竹小竹・カエルの千匹連れ蛇掛松・座頭の昼寝石・
千畳敷・鯉の滝登りなどと名前のついた岩が広がる海岸を案内して頂きました。
何億回、いや何兆回、いやいやそんな単位ではない、潮そして風が岩を削り、
すばらしい形に形取った芸術を目の前にすると、ただただ圧倒されるばかりです。

子供達に、「ここにある岩は全部、風や潮が作ったがやとぉ~」と
自然の大きさを教えてあげたのですが、
そんな事はお構いなしで、その岩に登ったり、崖に這い上がったり、
岩の間の貝殻や、打ち寄せられたサンゴのカケラを集めたりと大はしゃぎです。

この日は珍しく、南国のこの海岸に雪が舞い、冷たい海風に凍える思いをしましたが、
大自然に触れ、大喜びの子供達を見ると、
2008年のスタートに、いい所に来た、いい体験ができた、そう体で感じました。

この日は、波が荒く海底のサンゴを楽しめる
グラスボート(船の底がガラスになっている船)が出航できなかったのですが
カツオのタタキ作りに家族全員で挑戦できる時間ができ大満足です。

カツオ一本を地元の方の指導で3枚におろし(妻)
そのカツオの表面を藁で焼く(私と子供2人)
家族全員の共同作業と地元の方の味付けがミックスされた
カツオのタタキは、なかなかの絶妙な味でした。

一年の締めくくりに、そして一年のスタートに
すばらしい体験ができた事に心より感謝しています。
ここで感じた事を大切にして
今年一年、皆様のお役立てができるよう励んで参ります。
2008年も何卒どうぞよろしくお願いします。

それでは、失礼します。

細川 泰伸

第6号 2007年12月発行
「感謝。室戸貫歩100kmウォーク」

こんにちは、失礼します 食援隊の細川泰伸です。
いつもいつも十黒梅をご愛飲頂きまして、本当にありがとうございます。

12月に入り、一気に冬本番!皆様いかがお過ごしでしょうか?
こちら高知では、この時期一種異様な空気を醸し出す風物詩があります。
それは、高知大学空手部主催、室戸貫歩です。
高知市朝倉にある、高知大学のキャンパスから室戸岬まで
約100kmを歩き貫く荒修行の行事があるのです。

この行事、一般参加もOKでして、
実は、数年前に妻と2人でチャレンジをしました。(妻が体調を崩す前の事です。)
今回は、その直後に綴ったものを紐を解きご紹介させて頂きます。

■感謝■

高知大学空手部主催第45回「室戸貫歩」のスタート地点に立った私
もともと私は、スポーツマンとかでは全くなく
歩く、走る、そんな事には全く興味がありませんでしたが

この大会に参加したきっかけは、いつもお世話を頂いているたくさんの方々が
愛知県三河湾で開催されている100km歩け大会に参加して

「細川さん、100km歩いたら本物になれるよ」
「100kmって、本当に感動するよ」
「一生に一回は、100kmに挑戦した方がいいって」
「自分の殻を破るって、こういうことかもしれないよ」などなど絶賛の嵐。

そこまで言うなら、一度ぐらい・・・と思い、
こちら高知でも開催されているこの大会に初参加しました。

その時は、日頃の不摂生がたたり50km地点で無残にもリタイア。
そして、今年は一昨年の忘れ物をどうしても取りに行きたくて、
そんな思いで参加した大会でした。

当初は、私一人で参加するつもりでしたが
10月に開かれた三河の大会にサポート役で参加した時
ご夫婦で一緒にゴールした方のそのすばらしい姿に、もうメチャメチャ感激・感動して

妻に「一緒に歩けたら嬉しいなぁ~」とボソッと言ったのが
2つ返事で、「じゃ~、歩こうか」と妻。

今回の私の課題・目標は、
ただ歩くのではなく、「妻と一緒に歩く」というのがそれでした。

自分のペース、いわゆるマイペースで歩くのと
他の人に合わせて歩くのとは、疲れ方が全く違います。

私にとっての100kmを歩くというのは
過去に挑戦した経験から、単なる「体力自慢」とかではなく
何か、人生の縮図のようなものを感じてました。

目標に向かって進んでいる時、いろんな困難や壁が途中待ち受けています。
自分達の力は本当に非力です。それらを乗り越えるには
「運」やたくさんの方々の「お力添え」が必要だと思います。

100kmを歩くのは、天候の運、道の運、時の運・・・
そしてサポートして頂く方のお力添え
全てが揃って、はじめて完歩できると思います。

今回は、妻と一緒にゴールに向かって歩くことで、一生のパートナーとして
自分と妻の2人共が最後まで、あきらめずに努力できるか?
しっかり妻を励まし、手を取り合ってゴールすることができるか?
きっとやれると、お互いが信じあえるか?

もし、一緒にゴールできたら
これからの長い人生、どんな困難も乗り越えれる事ができるだろう
絶対に一緒に最初から最後まで!そう誓って挑んだ今大会でした。

午前8時30分の集合時間に、大学生に混ざる私達、顔は笑っていますが、
これから始まる数時間に緊張の色が隠せません。
応援に駆けつけてくれた仲間と談笑し9時のスタートの合図を待ちます。

仲間とのスタート前の記念写真に夢中になっていたら
学生の集団がバラバラと動き始めました。どうやら、スタートした様子。
私達も、慌てて「いってきま~す」元気いっぱいで歩き始めました。

上町の坂本龍馬生誕地の前で、「今から中岡慎太郎に会いに行きます」と
手を合わせ、誓いを立てます。
高知市内を軽快に通り過ぎ、隣町の南国市に向けて
仕事の話や家庭の話などに花を咲かせ一緒に足を進めます。

最初は、周りにいたたくさんの学生や仲間も、だんだんとバラバラになってきて私と妻、
そして今回、わざわざ遠路千葉県からサポートに駆けつけてくれた
友人の早川さん3人になりました。

早川さん:「フルサポートしますから、後ろを歩きますね、
あと、歩道って、水はけがいいように
若干、斜めになっていたり、極端に斜めになっているので
なるべく平らな真っ直ぐなところを選んで歩いてくださいね、
斜めが一番、膝にくるんですよ」

私達のペースにピッタリ合わせて伴走して頂き
そして、適切なアドバイスを頂き、感謝の気持ちでいっぱいです。

歩き始めて3時間が過ぎた頃でしょうか
妻:「お父さん、ちょっと太腿が痛い」といい始めました。

妻は148cm40kgの小柄で、正直、100kmは無理だと思ってましたが
まだ、歩き始めて3時間、12km辺り
この辺りで早くも痛みを感じては、とてもゴールまで一緒に歩けそうにない
そんな心配が頭をよぎりました。

周りを見渡すと、前方に「ドラッグストア」の看板!
おっ!これは幸いと
私:「よし、あそこでシップか何かを買おう」励ましながら、足を進めます。

ドラッグストアでシップや塗り薬を購入し
早川さんからシップの貼り方やいろんなアドバイスを頂き、靴を履き直します。
目指すは約30km地点、第一の休憩所「ヤシィパーク」!
3人は快調に足を滑らせます。

第一の休憩所「ヤシィパーク」についたのは、それから3時間後、午後4時のことでした。
ペース配分的には全く問題が無く、時速4~5kmでちょうどいいペース
気になるのは、妻の足の痛みです。

「ヤシィパーク」で、靴を履き直し
次の休憩所の45km地点、「安芸球場前」を目指して出発しました。
しかし、勢い良く歩き始めたものの、いきなり、長い上り坂が妻の足を直撃します。

妻:「いかん!痛い!足がパンパン!」
私:「もうすぐ、上りきるき、もうすぐ」

思い起こせば、この坂は、過去にチャレンジした時に、
私も足を痛め、途方にくれた上り坂です。
過去の自分とリンクさせながらも、なんとか励まそうと、気を紛らそうと
大きな声を出したり、どうでもいいような話題に花を咲かそうとします。

何とか坂を上りきりますと、妻は、ずいぶんと調子を取り戻したようで
妻:「もう、上り坂はないがでねぇ~」と私に聞いてきました。

実はこの後、このコースの最大の上り坂「赤野」の坂が待ち受けています。
私は、この事実をどう説明したらいいのか頭を悩ませながらも

私:「この後、結構きつい上り坂がある」
妻:「そう・・・・・・・」
私:「けんど、それが一番の難所やき、それさえ越えれば、もうほとんど上りはない」
妻:「それさえ、越えたらえいがやねぇ」
私:「そう、それさえ越えたら・・・」
しばらくは無言のまま、その難所の上り坂に向けて歩きました。

そして、その難所の手前に差し掛かった時、
何人もの人がその前でリタイヤしていました。
私達は、意を決して、黙々と上り坂を登り始めました。
車なら何ともない坂なのですが・・・・

2本の足を交互に前に出すだけ、しかし斜面がそれをはねつけるようです。
やっとの思いでその長い長い長い上り坂を登ると、次に待っていたのは、
当然のように、長い下り坂が待っていました。

実は、下りの方が足に負担がかかり、ダメージがきついのです。
できるだけ、負担のかからないよう、そろりそろりと下っていきます。
何とか無事に、この難所を通り過ぎましたが
妻の足は、かなり限界にきているようで、急にペースダウンを始めました。

妻:「足が痛い」 私:「次の休憩所まで、あとちょっとやき」

気の利いた事も言えない自分が、情けなくなりつつも
2人で一緒に歩く事の難しさを、まざまざと痛感しました。

そこから、約1時間午後8時、
歩き始めて、11時間、45km地点の「安芸球場前」につきました。
最初は、コンビニで休憩を取るつもりでしたが
冷たいコンクリートの上に座ると、さらに足が動かなくなると思ったのと
あったかい物を食べさせてやりたかったので、ラーメン店に入ることにしました。

ラーメン店の椅子に座って、テーブルにうつ伏せになる妻、  もう、限界のようです。
足は、自分の意思で少しも動かせる事ができず
手で持ち上げるようにして足を動かせます。

私:「マッサージしようか?」  妻:「うん」  私:「こうか」と軽く触れると
妻:「痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!」

妻の痛がる姿に、妻には完歩は無理だと思っていたにも関わらず
誘った自分を深く深く反省しました。

と、同時に、もう一緒にこれ以上は無理なのかと-、あきらめの気持ち
そして、50km近くまで、よう歩いた、その体でここまで歩くって、すごいことや
ここまで、よく付き合ってくれた。感謝の気持ちが、同時に沸き起こりました。

早川さんを交え、3人でラーメンをオーダーすると、入り口から、いつもお世話になっている
山岸先輩が入ってきて、妻に、特製の杖を貸してくれました。

山岸先輩は、私の高校の先輩で、今でも公私共々大変お世話になっており
今回のこの大会のサポート隊長を引き受けて頂いておりました。

先輩:「どう、大丈夫?」
私:「嫁さんが、かなりやばいです。」
妻:「・・・・・・・・・・」
先輩:「けんど、ここまで、よう歩いたねぇ~、すごい」

誰もが、この場所で、妻がリタイアすると考えておりました。
私:「よう、がんばった、ここでやめるかえぇ~?」
と妻にリタイヤを勧めたとところ
妻:「何を言うがぁ~、室戸まで行くって」
私:「けんど、その足やんか」
妻:「いや!絶対に一緒にゴールする」

そう私が、そんな弱音を言ってはいけません。なんとしてでも、一緒にゴールする。
逆に妻に励まされた気がして、目頭が熱くなりました。

その後、先輩の奥さんにも駆けつけて頂き、入念なマッサージを頂き
さらに、お世話になっている東京の知人が、いきなり飛び入りで現れ
妻に歩き方のアドバイスをしてくれました。

意を決して、そこを出発したのは午後9時のことでした。

私:「どうや、足は?」
妻:「痛いけど、さっきのマッサージと歩き方のアドバイスで歩けるみたい」
私:「すごいやか」
妻:「うん、本当にすごい、本当にさっきはありがたかった。」

2人で、先輩の奥さんと知人に、感謝の気持ちでいっぱいになり、
気を取り直した妻と次の休憩所の「大山」を目指します。

大山は、安芸から約5km先
そして、大山で3人を迎え入れてくれたのは
大阪から、わざわざサポートに駆けつけてくれた、秋吉さんと中野さんでした。

フルサポートの千葉の早川さん、それから、大阪の秋吉さん中野さんは、
前年のこの大会で見事に完歩され、今年はサポートをしたいと
この日のこの為に、わざわざ大阪からレンタカーを借りて
駆けつけてくれたその姿に、涙をこらえる事は出来ませんでした。

大山では、あっついラーメン、チョコレート、飲み物、マッサージ
感謝と勇気をいっぱいいっぱい頂き、次の休憩所の「田野」を目指します。
大山から田野は、街灯も少なくなり急に暗さを感じるようになりました。

そうです、ここからが勝負!大山から先で、リタイアする人が急に増えます。
しっかり、頑張ろう、しっかり、妻を励まそう、そう心に決めて
大きな声をだしたり、歌を歌ったり・・・

しばらく歩いていると忘れらない光景が目の前に現れました。
そうです、一昨年のこの大会で、私ががリタイアした場所です。
大山から歩き始めて、2kmぐらいの忘れもしない自動販売機のところです。

この道を車で通る度に、どうしてここで、リタイアしがやろう
次は、絶対にここを越える!そんな思いの痛恨の場所でした。
今回は、無事にその鬼門を通過!まずは自分の過去を塗り替えた事にホッとします。

しかし、足取りは重い事には変わりありません。
妻:「田野は、あとどれくらい?」やはり、次の休憩所が気になるのでしょう
私:「そうやね、あと7kmぐらいやろうか
今のペースやったら、あと2時間ぐらいやろうか?」
妻:「あと2時間ねぇ~」
私:「どこかで途中、休む?」
妻:「休んだたら、体が動かんなるき、このまま行く」

痛いのを我慢しながらも、とにかくゴールを目指す妻の姿勢に涙がこみ上げてきました。
そんな中、今まで一緒にサポートして歩いて頂いてる早川さんが

「星がすっごくキレイですよ~」と一言

周りに街灯がないだけに、空を見上げると
今までに見たことのないような綺麗な星空が広がっているんです。

妻:「ホントやぁ~、すっごくキレイ」

オリオン座の中には、3つ以外にもたくさんの星が見えていて
とにかく、今までに見たことがないくらいの星の数。
まるで自分達を応援してくれているように感じました。

早川さんの励ましを頂いて、私達2人は、足をゴールに向けて一歩一歩進めます。
時計の針は、深夜1時、歩き始めて、16時間、やっとの思いでたどり着いた田野には
いつもお世話になっている友人大勢が応援に駆けつけてくれてました。

もう、本当に涙が出る思いでした。
用意してくれた、卵スープ、本当に、身も心も温まりました。
夜を撤してのボランティアに本当に感謝です。

妻は、そこで入念なマッサージを頂き、元気と勇気とやる気をたくさん頂きました。
そして、次の休憩所の約80km地点の「加領郷」を目指し出発します。

しばらく歩くと道は、海岸線に出ました
いつもだったら、すっごくロケーションがよく、とっても気持ちのいいところ

しかし、その時、私達を待っていたのは、冷たい厳しい海風でした。

腕時計の針を見ると、午前4時、冷たい海風の中、無言のまま歩く3人
先頭の妻の足取りが急に遅くなりました。

私:「おい、大丈夫か?」
妻:「・・・・・・・・、ちょっと眠い」
私:「じゃぁ~、何か目の覚めるような事でもしよう」
妻:「・・・・・・・・、何ぃ?」
私:「そうやね、人名シリトリ!人の名前のシリトリね
例えば、朝香(娘の名前)やったら、次は、『か』やき、カーネルサンダース、こんな感じ
と、いうことで、お母さん、『す』、はいどうぞ♪」
妻:「・・・・・・・・・・やめて」
私:「ごめん」

妻は、もう精神的にいっぱいいっぱいの様子、妻をどう勇気付けていいか分らず
もう、一緒に歩けないかもしれないと、あきらめかけた情けない自分がいました。

その時!私の持っていた携帯電話に秋吉さんからの着信のサイン
秋吉さん:「今、どこです?」
私:「たぶん、あと1時間ちょっとで加領郷っす」
秋吉:「豚汁作って待ってますからね~」
そうです!次の「加領郷」では、わざわざ豚汁を用意して待って頂いているんです。
私:「そうやった、次は豚汁やって、頑張ろう」
妻:「そうやね!豚汁♪豚汁♪」
あきらめそうだった自分達に一閃の灯りがともりました。

午前5時、私達の前に、車のハザードランプが見えました。
そうです、皆さんが待って頂いている「加領郷」です。
足を滑らすように、休憩所に入ると、みんなの温かい顔がそこにありました。

辿り着くやいなや、アツアツの豚汁を「いの一番」で頂くと
もう、その美味しさといったら。。。
五臓六腑に染み渡り、疲れきった体に元気の力がみなぎりました。
もう、本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。
涙が出る思いをグッとこらえて、もう一杯、おかわりをお願いしました。

それから、そこでも入念なマッサージを頂き、しばらく談笑していたら、後ろで
妻:「やめてぇ~、痛いぃ~」と悲鳴
目をやると、秋吉さんと中野さんのダブルマッサージを受けている様子
ここでも、たくさんの皆さまの優しさ・励ましを頂き、
次の84km地点の「キラメッセ」を目指します。
時計の針は、午前6時、歩き始めて、18時間が経った頃でした。

しばらく歩きだすと
妻:「すごい、足が軽い」私:「本当ぉ~?」
妻:「さっきのマッサージが効いたみたい」私:「それは、本当に良かった」
ちょうど、東の空から太陽が昇り始め、
あたりも明るくなり、前方にも、室戸岬が見えました。

私:「おい、あれが室戸岬のゴールや!」妻:「本当~?!やったぁ~、もうちょっとや」
気分も明るく、足取りも軽くなり、ペースが上がり、私達の気持ちは
もうゴールのテープを切っているようです。

しかし、どうも、前方に見えている岬が、やけに近すぎる事に気がつきます。
そうです、前方に見えていたのは、室戸岬ではなく、それは行当岬でした。
妻:「お父さん、ガッカリさせなやぁ~」
私:「ごめん、ごめん、おかしいとは思いよったけど・・・」

今までの明るい希望が折れた瞬間、妻の足取りが、また重くなりました。

たった、歩くこと、、、
右の足を前にやって、次は左の足を前にやる。たったこれだけです。
たったこれさえも一緒にできないのか、自分の非力さを心の底から痛感します。

時計の針をみると午前8時、ゴールの室戸岬のタイムリミットは午後3時
ペースはずいぶん遅くなっていて、時速3kmぐらい
妻の足はだいぶ辛そうで、足を引きずりながら歩いています。
まだ20km近く残してますので、ざっと計算して6~7時間
もしかしたら、タイムアップの可能性もみえてきました。

私は、正直迷いました。もう妻は限界です。これ以上は、とても歩けそうにありません。
妻の体の事を考えると、次の「キラメッセ」で、妻をあきらめさせようかどうか?

私一人なら、時間内にゴールはできそうです。
しかし、妻はゴールは難しいかも。。。

何度も何度も自問自答を繰り返しました。

その時、私の母から妻の携帯電話に着信サインが
息子を「お泊り」で見てもらっていたのですが
昨日、熱を出していて、一夜明けた様子の知らせでした。

知らせでは、熱は下がり元気になっている様子、娘と一緒に遊んでいるとの事でした。
2人で安心すると同時に、さっきまでの迷いが急になくなりました。

そうです!人生のパートナーの妻をあきらめさせようかと迷った自分を
思いっきり恥じると同時に、息子に娘に、そして母に感謝し
また一歩また一歩、足をゴールに進めます。

「キラメッセ」に着いたのは、午前10時30分でした。

そこには、先回りして頂いた、さっきの「加領郷」のメンバーが
そこでも手厚くサポートしていただきました。

妻は、中野さん「ご氏名」でマッサージをお願いし、私も、ついでに中野さんに甘える事に
それが、本当に痛いんです。膝をグリグリッ!って、しかしメチャメチャ効いているんです。

そうしているうちにもう一人、背中をマッサージしている方が、、、
それは、秋吉さんでした。
大阪組の贅沢なダブルマッサージに、涙がでる思いをしながら
必ずゴールすることを2人に誓います。

時計の針は、午前11時30分、シャツ、靴下を替え
ラスト12kmの室戸岬を目指してゴールを約束して出発しました。

10分ぐらい歩いた頃でしょうか、ゴールと間違っていた行当岬を回ると
今度こそ、本当のゴールの室戸岬が見えました。

泣いても笑っても、残りわずか!私達の背中を海風が押すように吹き
全てが私達を応援してくれているように感じました。

足取りも軽く、意気揚々と歩いてましたら・・・・グキッと私の右足が。。。。
今まで慎重に道を選んできましたが
油断をしたのでしょう、道路の段差に足を踏み外しました。

明るい気持ちがまた不安に駆られます。
しかし、ここまで来たら、もうリタイアするワケには行きません。

妻:「大丈夫?」
私:「たいした事ないと思う、ありがとう、それより、そっちはどう?」
妻:「さっきのマッサージで、また楽になった」
今度は妻に心配してもらうようになり、絶対に一緒にゴールする事を誓いました。

私達がラスト7kmを切ったところ
携帯電話に、続々と無事にゴールした人からのメッセージが届きました。
一緒に歩いているメンバーの中では、どうやら最後尾のようです。

もう、こうなったら
私達もしっかりゴールしなければなりません。

最後のカーブを曲がり、最後は一直線、6kmとなりました。
今まで辛かった思い、そして多くの皆さま頂いた手厚いサポートが交互に思い出され、
また一歩また一歩、ゴールに向けて足を踏み出します。

そこから、ゴールの室戸岬まで、大海原をロケーションにして、一歩一歩。。。。。
最後のカーブを曲がると目の前に、中岡慎太郎の銅像が

そして、ゴール。。。。

2年越しの忘れ物を取りにこれたのと、今回は妻と一緒に歩けた嬉しさで
胸が熱くなり、いい加減泣いて無くなったはずの涙が、またこみ上げてきました。

午後1時45分歩き始めて28時間45分、私達は無事、ゴールする事が出来ました。
今回一緒に歩いた皆さま、サポート、応援を頂いた皆さま
本当にありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです。心よりお礼申し上げます。

今回、歩いたことで、決して、自分一人の力ではなく、たくさんの皆さまに支えられ
天候や運に恵まれ、完歩できた事を改めて実感しました。

私は今回の経験を通じて、3つの「感謝」の心を学びました。

●私達は、運に恵まれている事
●私達は、たくさんの皆様に支えて頂いている事
●私達は、多くの方々に喜んで頂ける社会活動を感謝の心でする事。

この感謝の気持ちを胸に、毎日励んで参ります。

それでは、失礼します。

細川 泰伸

第5号 2007年11月発行
「1日の中で、一番ほっこりする時間」

こんにちは、失礼します。
食援隊の細川泰伸です。
いつもいつも十黒梅をご愛飲頂きまして、本当にありがとうございます。

11月に入り、皆様いかがお過ごしでしょうか?
今年の夏は異常気象ともいうべき記録的な、猛!猛!猛暑、そして残暑の影響か
こちら南国高知は、日中はまだまだ、半袖でも大丈夫です。
しかし、さすがに朝夕は11月ですね、朝の風が冷たくなり、
体力作り・健康作りに続けている自転車通勤には、
風を通しにくい、ナイロン製のウィンドブレーカーが必要です。

でもでもでもっっっつ!私の自転車の横をすり抜ける通学途中の小学生は・・・

なんと!半袖っっっ!!!!! いやぁ~、イキイキモード満点です。

私:「よぉ~し、明日から半袖で行くぞぉ~」と妻に言うと
妻:「年を考えてね、年を!」と一喝
そうですね、いくらなんでも小学生の真似をしてはいけませんね

そんな朝夕の冷たさを感じるこの頃
私にとりまして、「1日の中で、一番ほっこりする時間」があります。

それは、布団に入って眠りにつくまで、15~20分間の読書タイムです。

「十黒梅」をキュッと飲み、布団に入ると
さっきまで温度のなかった布団が、ジワジワと温かくなり、とても心地がいいんです。

そして、その時間をさらに楽しませてくれる、現在、枕元にある愛読書は
「天翔ける日本武尊(あまかけるやまとたけるのみこと)」!

まだ、読み始めて間もなく、本来ならば、完読してからご紹介すべきなのですが
あまりにも、心に感じるところがあるので少しだけご紹介させて頂きますと

主人公は、皆様ご存知、ヤマトタケル!
日本の草創期に活躍した神話の英雄です。

父の景行天皇が、ヤマトタケルを立派な後継者にするためには
本人を死に直面させ、甘えを削ぎ落とすしかないと苦悩の末に決意し
戦地に向かわす、親も子も覚悟を決めるシーンがありました。

私は、覚悟を決めて起業した時の、あの熱い想いを思い出し
吸い込まれるようにページをめくりました。

そして、読みすすめるうちに、他の民族にない、
日本人のルーツといいましょうか、そのようなものを感じ、胸を躍らせています。

なぜ、この本を手に取ったかといいますと・・・
実は、9月にこの著書を書かれた
神渡良平先生の講演を受講するチャンスがありました。

先生は、38歳の時に脳梗塞で倒れ右半身不随となり、
そして、その時「人生は一回きり」という事を骨の髄まで身にしみたそうです。

闘病中に読んだ安岡正篤氏の本に感銘を受け
もともと物を書くのが好きだった先生は「人生は一回きり」と
安岡正篤氏の本を自分で書きたいと強く思われたそうです。

必死のリハビリで、医師も驚くほどの回復力で、右手でペンが持てるようになり、
出版にむけ、安岡正篤氏の資料を集めに奔走されました。
しかし、当時まだ無名だった先生に、資料を提供する人などいませんでした。

ところが、強く思えば、思いは必ず届くものですね
私はここからのエピソードに、もの凄く感銘を受けております。

先生は、安岡正篤氏の教えを学んだ、元・住友生命社長の新井正明氏に、
ダメもとで資料提供の用件で面会を申し入れをされました。

新井正明氏は、戦争で右足を失くされました。
毎夜見る夢の中では、足が元通りになっている
ハッと目が覚め、足を触ってみると足はありません。
スリッパを履こうとすると、決まって無いほうの足のスリッパを探してしまう。
このまま帰国するには、あまりも惨めすぎる
いっその事、死んだほうがましだったと、絶望の崖っぷちだったそうです。

そんな時、新井氏は安岡正篤氏の
「忘の効用・人間には、忘れるという天が与えてくれた、すばらしい能力がある」
という教えを知り、目を熱くされたそうです。

ないものねだりをして過去にこだわってもどうなるものでもない
忘れて、新しい明るい道を歩こう

そんな体験のある新井氏は、脳梗塞で倒れ、人生は一回きりと決意した神渡先生の
熱い申し入れに心を動かし、安岡正篤氏の資料提供に積極応援をすることになり
神渡先生の処女作「安岡正篤の世界」は見事ベストセラーとなったそうです。

「熱い思いは、必ず報われる」 この先生のエピソードに、
私は目頭が熱くなり、両目の涙を止める事が出来ません。

その神渡先生の最新作が、「天翔ける日本武尊(あまかけるやまとたけるのみこと)」です。
渾身の思いをかけて書き上げたと熱く語って下さりました。

講演終了後、即売会があり並んで買い求めました。
受講生の多くが本を買い求めたので、先生の前には長蛇の列です。
先生は、本の裏表紙に、姿勢を正して丁寧に、
一度は脳梗塞で不自由になりながらも、見事に回復したその右手で、
サインを下さります。それも、一人一人違うメッセージを添えてです。

時間がちょうどお昼だったので、先生に食事を先にお勧めしたのですが
先生は、並んでいた受講生に、名刺を本に挟むように指示し、
ご自分より先に食事に行かせ、先生はそのまま一人残って、
名刺の名前を見ては、丁寧に一冊ずつサインをしておいででした。
もう、私は胸が熱くなる思いでいっぱいでした。

私は先生の横で、サインの仕上げとなる先生の判を押すお手伝いをすると
「細川さんの笑顔は本当に素敵ですね」と優しくおっしゃって下さり
私が買い求めた三冊の本それぞれに

「飛翔」  「燈心」  「笑顔は天の花」
とメッセージを書いて下さりました。

胸の奥からジ~ンと、温かいものが込上げた事を、今でもありありと覚えています。

「天翔ける日本武尊(あまかけるやまとたけるのみこと)」
この巨編を書き上げた先生に改めて感謝し
しばらく、眠りにつくまでのひと時を存分に楽しみたいと思います。

それでは、失礼します。

細川 泰伸

第4号 2007年10月発行
「食欲の秋!読書の秋!スポーツの秋!・・・」

こんにちは、失礼します
食援隊の細川泰伸です。

いつもいつも十黒梅をご愛飲頂きまして
本当にありがとうございます。

ちょうどお彼岸の頃からでしょうか
あれだけ暑かった今年の夏がとうとう終わり
ゴロッと季節が変わってきました。
「暑さ寒さも彼岸まで」とは、本当によく言ったものです。
秋という言葉がピッタリの季節になってきました。

秋は食いしん坊の私にとりまして大好きな季節!「食欲の秋」

魚の脂は乗ってきて、身はギュッとしまり
カツオ・サバ・アジ・サンマ・ハマチ・カンパチ。。。。

十黒梅を食前酒に、カツオはやっぱりタタキがいいですね~
タマネギのスライスの上に、
ニンニクのスライス、みょうが、ねぎ、大葉などの薬味を
カツオが見えないくらい、ふんだんに山盛りに乗せ、
醤油・酢・酒・みりんを合わせた我が家秘伝のタレをかけて、
おもむろに口の中に放り込む。。。。

それから、サバもタタキにするとおいしいんですよ~
脂が乗りに乗った清水サバのタタキを初めて食べた時は、
「えっ!ホントにサバぁ~???」と自分の味覚を疑いました。

サンマは、やっぱり塩焼きですよね
脂じゅ~じゅ~のサンマに、キリッとしまる大根おろしをのせて。。。
ちょうど、漫才師のボケとツッコミみたいなものです。
両方があって美味しさ倍増です。
「サンマ苦いがしょっぱいか。。。」
あのハラワタのところは、たくさんは食べれませんが
何とも言いがたい美味しさがあります。

何だか、頭に「ぽか~ん」と思い浮かべただけでも
お腹の虫がぐぅ~ぐぅ~と鳴ってきました。

それから、秋といえば「読書の秋」
書棚を整理してますと
中学生の頃に買った「吉川英治の三国志」が出てきました。

なんだか急に当時読んだ懐かしさが込み上げ
ページを開いてみますと、1800年前にタイムスリップ!

劉備が、曹操が、孫権が、孔明が、関羽が、張飛が・・・・
古代中国の大地を勇々と駆け巡る英雄たちの熱い物語に
吸い込まれていき、自分もそこにいるような気がします。

まだ、読み終わってなく途中ですが、改めて読み直してみると
社会人となり、起業した私にとりまして
初めて読んだ中学生当時では
感じ得なかった事が心に沁み入るように思いました。

この物語は大切なを事を私に教えてくれるような気がします。

一言でいうと非常に難しいのですが
「仁・義・礼・智・信」といいましょうか
温故知新、登場人物の生き様は
私の心の羅針盤になるような気がします。

どくだみと同様、昔からずっと伝わるものは
やっぱりいいですね~

十黒梅をクイッと飲んで
心地よい眠りに入るまで
一日少しずつ、ベッドの中で読んでますので
なかなかページが進みませんが
今年の秋のうちには、何とか最後まで読み終わりたいと思います。

それからそれから、秋といえば「スポーツの秋」
小学生1年生の娘が、週1回、スイミングスクールに通っていまして
先月からバタフライを習い始めました

それで、先日一緒にプールに行きまして
見せてもらったのですが。。。。

私より上手なんです。

と、いいますか
私の場合は、水の中でドタバタしてますので
ドタバタフライなのですが、、、

子供は物覚えが早いといいますが
これでは父親の威厳は台無しです。

その娘の姿を見て
何を思ったのか、妻までもスイミングスクールに通うようになりまして
これまた、そこそこ泳げるようになってきまして
どうやら、水の中では家族No.1の座が危うくなってきました。

そもそも健康のためにと、ちょこちょこ泳いでいるのですが、
父親として、このNo.1の椅子を
そうそう簡単に譲るわけにはいきません。
この秋は、水の中で激しい火花が散りそうです。

「食欲の秋」「読書の秋」「スポーツの秋」・・・
ちょうど過しやすいこの季節に、ありがとうと感謝して
秋を満喫したいと思います。

皆様の今年の秋はどんな秋になりそうですか?
もし宜しければ、皆様の秋をお聞かせ頂けると嬉しいです。

「前から行きたかったところへ旅行に行った」
「毎朝の散歩を、紅葉に誘われ少し道を変えてみた」
「思い切って、習い事を始めた」
「カラオケのレパートリーを増やした」などなど
イキイキ元気なお声を頂けると幸いです。

最後になりましたが
一番過しやすいこの季節、
皆様のイキイキ元気に十黒梅がお役に立てる事を
心よりお祈り申し上げます。

それでは、失礼します。

細川 泰伸

第3号 2007年9月発行
「玄孫(やしゃご)の自転車を直さんといかんき・・・」

こんにちは、失礼します
食援隊の細川泰伸です。

いつも生搾りどくだみ青汁酒・十黒梅(じゅっこくばい)を
ご愛飲頂きまして、本当にありがとうございます。
皆様の「イキイキ元気」のお役に立てれば幸いです。

9月に入りまして、残暑厳しい毎日皆様いかがお過ごしでしょうか?
今年の8月は、それにしても本当に暑かったですね~、
群馬とか埼玉とか、そのあたりでは
最高気温が40℃を越えるところもあったそうですから、
並大抵の暑さではなかったと思います。

それから、甲子園・夏の高校野球も熱かったですね、
今年は、無名だった佐賀北高校のナインに胸を熱くしました。
そしてなんと! 十黒梅をご愛飲の方から

————————————————————–
「母校なんです!ホントに感激・感動です。
7試合中2試合は同窓会館で100人以上の方々と盛り上がりました。
昨日の決勝戦は親友の家でビール呑みながら(昼から~~~)
女2人でギャーギャー大騒ぎでした。夜はあちこちのニュース番組のハシゴ!
今年卒業30周年記念同窓会なんですが、
お世話役をしている関係上、会合にも力が入ってます。
監督が『何で開幕戦を引いたとか~、
開会式次の日には帰らんば~』と言われてたそうです。
勿論、私たちも『早く帰れてお金掛からなくてよかったね~』そう思ってました。」
————————————————————–
という熱い熱いメールを頂きました。本当におめでとうございました。

こちら高知は、大きなお祭り「よさこい祭り」で完全燃焼したはずの熱い火が
まだまだ残っているような熱さ暑さが続いております。
首からタオルを手放せない陽気です。

健康作りにと、週に数回通っているプールも
冷たいはずの水が、この陽気・熱気で水温が上がり温水プール状態で
常連のおんちゃんは、「こりゃぁ~風呂じゃ、プールに石鹸を持ってこんといかん」と
25mを泳いでは、はぁ~はぁ~いいながら冗談を言ってます。

そのおんちゃん、年は82歳!
(高知では、だいたい40歳位から上の男の人を愛称を込めて「おんちゃん」と呼びます)
ちょっと背中が曲がってますが、まだまだ現役の自転車屋さんです。

先日、私の愛車(自転車)の前輪のタイヤがパンクしたので修理に持っていたところ、
スルスルっとタイヤからチューブを取り外し
ササッと水の中につけ、破れている箇所を確かめ
パパッと、保護テープを接着し、たちどころに、
ものの数分で直してくれました。さすが熟練の技!

本人いわく
「玄孫(やしゃご)の自転車を直さないかんき、あと20年はやらないかんねぇ~」と
100歳現役を早くも宣言してます。
「けんど、100になったら、前の車輪と後ろの車輪を間違おうたらどうしよう」と
意味不明な心配もしています。
どうやら、数字の0が2つ並ぶので、
0を車輪に見立てたトンチをきかしているようです。

ところが、その元気なおんちゃん、しばらく、プールで見かけなかったのです。
プールで顔をよく合わすみんなと、
もしかして何かあったのかと本当に心配しておりました。

そんなある日、いつものように
軽快に泳いでいる、自転車屋のおんちゃんの姿がプールにありました。

私:「おんちゃん、どうしよったぁ~?
みんなで心配しよったけどぉ~」と話しかけると
おんちゃん:「体の中のチューブを治しよった」とニコッと笑顔で。。。 (*^_^*)

どうやら、腸の手術をしたようで、しばらく病院に入院してたんだそうです。
自転車屋さんだけに、腸をチューブと冗談を言うところがさすがです。
さらに、おんちゃん、腸の辺りを触りながら
「チューブを治すがやったら、ワシの方がうまいからもしれん」
下手なお笑い芸人よりもずっと面白い事を言って、プールに笑いの渦を作ります。

私:「病み上がりやき、あんまり無理せられんでぇ~」と心配すると
おんちゃん:「なんの、三途の川をターンして帰ってこんといかんきねぇ~」
と、私の心配をよそに、元気に泳ぎはじめるおんちゃん

いや本当に、20年現役で頑張って頂いて
玄孫(やしゃご)の自転車の修理には、自慢の職人技を振るって欲しいです。

さて、9月といえば、「敬老の日」があります。
2003年から、9月の第3月曜日になり
今年は、9月17日(月)が「敬老の日」になります。

ちなみに、この「敬老の日」を調べたところ
敬老の日は、兵庫県多可郡野間谷村
(後の八千代町を経て現在の多可町八千代区)の門脇政夫村長が
1947年(昭和22年)に提唱した「としよりの日」が始まりと言われています。

「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、
農閑期に当り気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、
敬老会を開いたのがきっかけで
これが1950年(昭和25年)からは兵庫県全体で行われるようになり、
しだいに全国に広がったそうです。

その後「としより」という表現は良くないということで
1964年(昭和39年)に「老人の日」と改称され、
1966年(昭和41年)に国民の祝日「敬老の日」となったそうです。
このため、「母の日」のように外国から輸入されたような記念日と違い、
「敬老の日」は諸外国にはありません。

その他、諸説によりますと
聖徳太子が四天王寺に悲田院を建立した日であるとか、
元正天皇が養老の滝に御幸した日であるとかという俗説もあるそうですが
どちらも確かではないようです。

私は、日本独特の文化が生んだこの記念日に
何か忘れかけていた大事なものがあるように感じます。
新技術、新開発、新しい事はすばらしいと思うのですが
昔から伝えられきた事の中にもすばらしいものがあると思うのです。
職業柄、どうしても食品業界に目が留まるのですが
便利さや見栄えやコストを優先され加工された食品には
それと引換に失われているものがあると思うのです。
「温故知新」、昔から伝わるものを再確認し
皆様にお役に立てる商品作り・商品開発に励みたい
「敬老の日」を前に、そのように思いました。

それでは、失礼します。

細川 泰伸