こんにちは、失礼します 食援隊の細川泰伸です。
いつもいつも十黒梅をご愛飲頂きまして、本当にありがとうございます。
12月に入り、一気に冬本番!皆様いかがお過ごしでしょうか?
こちら高知では、この時期一種異様な空気を醸し出す風物詩があります。
それは、高知大学空手部主催、室戸貫歩です。
高知市朝倉にある、高知大学のキャンパスから室戸岬まで
約100kmを歩き貫く荒修行の行事があるのです。
この行事、一般参加もOKでして、
実は、数年前に妻と2人でチャレンジをしました。(妻が体調を崩す前の事です。)
今回は、その直後に綴ったものを紐を解きご紹介させて頂きます。
■感謝■
高知大学空手部主催第45回「室戸貫歩」のスタート地点に立った私
もともと私は、スポーツマンとかでは全くなく
歩く、走る、そんな事には全く興味がありませんでしたが
この大会に参加したきっかけは、いつもお世話を頂いているたくさんの方々が
愛知県三河湾で開催されている100km歩け大会に参加して
「細川さん、100km歩いたら本物になれるよ」
「100kmって、本当に感動するよ」
「一生に一回は、100kmに挑戦した方がいいって」
「自分の殻を破るって、こういうことかもしれないよ」などなど絶賛の嵐。
そこまで言うなら、一度ぐらい・・・と思い、
こちら高知でも開催されているこの大会に初参加しました。
その時は、日頃の不摂生がたたり50km地点で無残にもリタイア。
そして、今年は一昨年の忘れ物をどうしても取りに行きたくて、
そんな思いで参加した大会でした。
当初は、私一人で参加するつもりでしたが
10月に開かれた三河の大会にサポート役で参加した時
ご夫婦で一緒にゴールした方のそのすばらしい姿に、もうメチャメチャ感激・感動して
妻に「一緒に歩けたら嬉しいなぁ~」とボソッと言ったのが
2つ返事で、「じゃ~、歩こうか」と妻。
今回の私の課題・目標は、
ただ歩くのではなく、「妻と一緒に歩く」というのがそれでした。
自分のペース、いわゆるマイペースで歩くのと
他の人に合わせて歩くのとは、疲れ方が全く違います。
私にとっての100kmを歩くというのは
過去に挑戦した経験から、単なる「体力自慢」とかではなく
何か、人生の縮図のようなものを感じてました。
目標に向かって進んでいる時、いろんな困難や壁が途中待ち受けています。
自分達の力は本当に非力です。それらを乗り越えるには
「運」やたくさんの方々の「お力添え」が必要だと思います。
100kmを歩くのは、天候の運、道の運、時の運・・・
そしてサポートして頂く方のお力添え
全てが揃って、はじめて完歩できると思います。
今回は、妻と一緒にゴールに向かって歩くことで、一生のパートナーとして
自分と妻の2人共が最後まで、あきらめずに努力できるか?
しっかり妻を励まし、手を取り合ってゴールすることができるか?
きっとやれると、お互いが信じあえるか?
もし、一緒にゴールできたら
これからの長い人生、どんな困難も乗り越えれる事ができるだろう
絶対に一緒に最初から最後まで!そう誓って挑んだ今大会でした。
午前8時30分の集合時間に、大学生に混ざる私達、顔は笑っていますが、
これから始まる数時間に緊張の色が隠せません。
応援に駆けつけてくれた仲間と談笑し9時のスタートの合図を待ちます。
仲間とのスタート前の記念写真に夢中になっていたら
学生の集団がバラバラと動き始めました。どうやら、スタートした様子。
私達も、慌てて「いってきま~す」元気いっぱいで歩き始めました。
上町の坂本龍馬生誕地の前で、「今から中岡慎太郎に会いに行きます」と
手を合わせ、誓いを立てます。
高知市内を軽快に通り過ぎ、隣町の南国市に向けて
仕事の話や家庭の話などに花を咲かせ一緒に足を進めます。
最初は、周りにいたたくさんの学生や仲間も、だんだんとバラバラになってきて私と妻、
そして今回、わざわざ遠路千葉県からサポートに駆けつけてくれた
友人の早川さん3人になりました。
早川さん:「フルサポートしますから、後ろを歩きますね、
あと、歩道って、水はけがいいように
若干、斜めになっていたり、極端に斜めになっているので
なるべく平らな真っ直ぐなところを選んで歩いてくださいね、
斜めが一番、膝にくるんですよ」
私達のペースにピッタリ合わせて伴走して頂き
そして、適切なアドバイスを頂き、感謝の気持ちでいっぱいです。
歩き始めて3時間が過ぎた頃でしょうか
妻:「お父さん、ちょっと太腿が痛い」といい始めました。
妻は148cm40kgの小柄で、正直、100kmは無理だと思ってましたが
まだ、歩き始めて3時間、12km辺り
この辺りで早くも痛みを感じては、とてもゴールまで一緒に歩けそうにない
そんな心配が頭をよぎりました。
周りを見渡すと、前方に「ドラッグストア」の看板!
おっ!これは幸いと
私:「よし、あそこでシップか何かを買おう」励ましながら、足を進めます。
ドラッグストアでシップや塗り薬を購入し
早川さんからシップの貼り方やいろんなアドバイスを頂き、靴を履き直します。
目指すは約30km地点、第一の休憩所「ヤシィパーク」!
3人は快調に足を滑らせます。
第一の休憩所「ヤシィパーク」についたのは、それから3時間後、午後4時のことでした。
ペース配分的には全く問題が無く、時速4~5kmでちょうどいいペース
気になるのは、妻の足の痛みです。
「ヤシィパーク」で、靴を履き直し
次の休憩所の45km地点、「安芸球場前」を目指して出発しました。
しかし、勢い良く歩き始めたものの、いきなり、長い上り坂が妻の足を直撃します。
妻:「いかん!痛い!足がパンパン!」
私:「もうすぐ、上りきるき、もうすぐ」
思い起こせば、この坂は、過去にチャレンジした時に、
私も足を痛め、途方にくれた上り坂です。
過去の自分とリンクさせながらも、なんとか励まそうと、気を紛らそうと
大きな声を出したり、どうでもいいような話題に花を咲かそうとします。
何とか坂を上りきりますと、妻は、ずいぶんと調子を取り戻したようで
妻:「もう、上り坂はないがでねぇ~」と私に聞いてきました。
実はこの後、このコースの最大の上り坂「赤野」の坂が待ち受けています。
私は、この事実をどう説明したらいいのか頭を悩ませながらも
私:「この後、結構きつい上り坂がある」
妻:「そう・・・・・・・」
私:「けんど、それが一番の難所やき、それさえ越えれば、もうほとんど上りはない」
妻:「それさえ、越えたらえいがやねぇ」
私:「そう、それさえ越えたら・・・」
しばらくは無言のまま、その難所の上り坂に向けて歩きました。
そして、その難所の手前に差し掛かった時、
何人もの人がその前でリタイヤしていました。
私達は、意を決して、黙々と上り坂を登り始めました。
車なら何ともない坂なのですが・・・・
2本の足を交互に前に出すだけ、しかし斜面がそれをはねつけるようです。
やっとの思いでその長い長い長い上り坂を登ると、次に待っていたのは、
当然のように、長い下り坂が待っていました。
実は、下りの方が足に負担がかかり、ダメージがきついのです。
できるだけ、負担のかからないよう、そろりそろりと下っていきます。
何とか無事に、この難所を通り過ぎましたが
妻の足は、かなり限界にきているようで、急にペースダウンを始めました。
妻:「足が痛い」 私:「次の休憩所まで、あとちょっとやき」
気の利いた事も言えない自分が、情けなくなりつつも
2人で一緒に歩く事の難しさを、まざまざと痛感しました。
そこから、約1時間午後8時、
歩き始めて、11時間、45km地点の「安芸球場前」につきました。
最初は、コンビニで休憩を取るつもりでしたが
冷たいコンクリートの上に座ると、さらに足が動かなくなると思ったのと
あったかい物を食べさせてやりたかったので、ラーメン店に入ることにしました。
ラーメン店の椅子に座って、テーブルにうつ伏せになる妻、 もう、限界のようです。
足は、自分の意思で少しも動かせる事ができず
手で持ち上げるようにして足を動かせます。
私:「マッサージしようか?」 妻:「うん」 私:「こうか」と軽く触れると
妻:「痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!」
妻の痛がる姿に、妻には完歩は無理だと思っていたにも関わらず
誘った自分を深く深く反省しました。
と、同時に、もう一緒にこれ以上は無理なのかと-、あきらめの気持ち
そして、50km近くまで、よう歩いた、その体でここまで歩くって、すごいことや
ここまで、よく付き合ってくれた。感謝の気持ちが、同時に沸き起こりました。
早川さんを交え、3人でラーメンをオーダーすると、入り口から、いつもお世話になっている
山岸先輩が入ってきて、妻に、特製の杖を貸してくれました。
山岸先輩は、私の高校の先輩で、今でも公私共々大変お世話になっており
今回のこの大会のサポート隊長を引き受けて頂いておりました。
先輩:「どう、大丈夫?」
私:「嫁さんが、かなりやばいです。」
妻:「・・・・・・・・・・」
先輩:「けんど、ここまで、よう歩いたねぇ~、すごい」
誰もが、この場所で、妻がリタイアすると考えておりました。
私:「よう、がんばった、ここでやめるかえぇ~?」
と妻にリタイヤを勧めたとところ
妻:「何を言うがぁ~、室戸まで行くって」
私:「けんど、その足やんか」
妻:「いや!絶対に一緒にゴールする」
そう私が、そんな弱音を言ってはいけません。なんとしてでも、一緒にゴールする。
逆に妻に励まされた気がして、目頭が熱くなりました。
その後、先輩の奥さんにも駆けつけて頂き、入念なマッサージを頂き
さらに、お世話になっている東京の知人が、いきなり飛び入りで現れ
妻に歩き方のアドバイスをしてくれました。
意を決して、そこを出発したのは午後9時のことでした。
私:「どうや、足は?」
妻:「痛いけど、さっきのマッサージと歩き方のアドバイスで歩けるみたい」
私:「すごいやか」
妻:「うん、本当にすごい、本当にさっきはありがたかった。」
2人で、先輩の奥さんと知人に、感謝の気持ちでいっぱいになり、
気を取り直した妻と次の休憩所の「大山」を目指します。
大山は、安芸から約5km先
そして、大山で3人を迎え入れてくれたのは
大阪から、わざわざサポートに駆けつけてくれた、秋吉さんと中野さんでした。
フルサポートの千葉の早川さん、それから、大阪の秋吉さん中野さんは、
前年のこの大会で見事に完歩され、今年はサポートをしたいと
この日のこの為に、わざわざ大阪からレンタカーを借りて
駆けつけてくれたその姿に、涙をこらえる事は出来ませんでした。
大山では、あっついラーメン、チョコレート、飲み物、マッサージ
感謝と勇気をいっぱいいっぱい頂き、次の休憩所の「田野」を目指します。
大山から田野は、街灯も少なくなり急に暗さを感じるようになりました。
そうです、ここからが勝負!大山から先で、リタイアする人が急に増えます。
しっかり、頑張ろう、しっかり、妻を励まそう、そう心に決めて
大きな声をだしたり、歌を歌ったり・・・
しばらく歩いていると忘れらない光景が目の前に現れました。
そうです、一昨年のこの大会で、私ががリタイアした場所です。
大山から歩き始めて、2kmぐらいの忘れもしない自動販売機のところです。
この道を車で通る度に、どうしてここで、リタイアしがやろう
次は、絶対にここを越える!そんな思いの痛恨の場所でした。
今回は、無事にその鬼門を通過!まずは自分の過去を塗り替えた事にホッとします。
しかし、足取りは重い事には変わりありません。
妻:「田野は、あとどれくらい?」やはり、次の休憩所が気になるのでしょう
私:「そうやね、あと7kmぐらいやろうか
今のペースやったら、あと2時間ぐらいやろうか?」
妻:「あと2時間ねぇ~」
私:「どこかで途中、休む?」
妻:「休んだたら、体が動かんなるき、このまま行く」
痛いのを我慢しながらも、とにかくゴールを目指す妻の姿勢に涙がこみ上げてきました。
そんな中、今まで一緒にサポートして歩いて頂いてる早川さんが
「星がすっごくキレイですよ~」と一言
周りに街灯がないだけに、空を見上げると
今までに見たことのないような綺麗な星空が広がっているんです。
妻:「ホントやぁ~、すっごくキレイ」
オリオン座の中には、3つ以外にもたくさんの星が見えていて
とにかく、今までに見たことがないくらいの星の数。
まるで自分達を応援してくれているように感じました。
早川さんの励ましを頂いて、私達2人は、足をゴールに向けて一歩一歩進めます。
時計の針は、深夜1時、歩き始めて、16時間、やっとの思いでたどり着いた田野には
いつもお世話になっている友人大勢が応援に駆けつけてくれてました。
もう、本当に涙が出る思いでした。
用意してくれた、卵スープ、本当に、身も心も温まりました。
夜を撤してのボランティアに本当に感謝です。
妻は、そこで入念なマッサージを頂き、元気と勇気とやる気をたくさん頂きました。
そして、次の休憩所の約80km地点の「加領郷」を目指し出発します。
しばらく歩くと道は、海岸線に出ました
いつもだったら、すっごくロケーションがよく、とっても気持ちのいいところ
しかし、その時、私達を待っていたのは、冷たい厳しい海風でした。
腕時計の針を見ると、午前4時、冷たい海風の中、無言のまま歩く3人
先頭の妻の足取りが急に遅くなりました。
私:「おい、大丈夫か?」
妻:「・・・・・・・・、ちょっと眠い」
私:「じゃぁ~、何か目の覚めるような事でもしよう」
妻:「・・・・・・・・、何ぃ?」
私:「そうやね、人名シリトリ!人の名前のシリトリね
例えば、朝香(娘の名前)やったら、次は、『か』やき、カーネルサンダース、こんな感じ
と、いうことで、お母さん、『す』、はいどうぞ♪」
妻:「・・・・・・・・・・やめて」
私:「ごめん」
妻は、もう精神的にいっぱいいっぱいの様子、妻をどう勇気付けていいか分らず
もう、一緒に歩けないかもしれないと、あきらめかけた情けない自分がいました。
その時!私の持っていた携帯電話に秋吉さんからの着信のサイン
秋吉さん:「今、どこです?」
私:「たぶん、あと1時間ちょっとで加領郷っす」
秋吉:「豚汁作って待ってますからね~」
そうです!次の「加領郷」では、わざわざ豚汁を用意して待って頂いているんです。
私:「そうやった、次は豚汁やって、頑張ろう」
妻:「そうやね!豚汁♪豚汁♪」
あきらめそうだった自分達に一閃の灯りがともりました。
午前5時、私達の前に、車のハザードランプが見えました。
そうです、皆さんが待って頂いている「加領郷」です。
足を滑らすように、休憩所に入ると、みんなの温かい顔がそこにありました。
辿り着くやいなや、アツアツの豚汁を「いの一番」で頂くと
もう、その美味しさといったら。。。
五臓六腑に染み渡り、疲れきった体に元気の力がみなぎりました。
もう、本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。
涙が出る思いをグッとこらえて、もう一杯、おかわりをお願いしました。
それから、そこでも入念なマッサージを頂き、しばらく談笑していたら、後ろで
妻:「やめてぇ~、痛いぃ~」と悲鳴
目をやると、秋吉さんと中野さんのダブルマッサージを受けている様子
ここでも、たくさんの皆さまの優しさ・励ましを頂き、
次の84km地点の「キラメッセ」を目指します。
時計の針は、午前6時、歩き始めて、18時間が経った頃でした。
しばらく歩きだすと
妻:「すごい、足が軽い」私:「本当ぉ~?」
妻:「さっきのマッサージが効いたみたい」私:「それは、本当に良かった」
ちょうど、東の空から太陽が昇り始め、
あたりも明るくなり、前方にも、室戸岬が見えました。
私:「おい、あれが室戸岬のゴールや!」妻:「本当~?!やったぁ~、もうちょっとや」
気分も明るく、足取りも軽くなり、ペースが上がり、私達の気持ちは
もうゴールのテープを切っているようです。
しかし、どうも、前方に見えている岬が、やけに近すぎる事に気がつきます。
そうです、前方に見えていたのは、室戸岬ではなく、それは行当岬でした。
妻:「お父さん、ガッカリさせなやぁ~」
私:「ごめん、ごめん、おかしいとは思いよったけど・・・」
今までの明るい希望が折れた瞬間、妻の足取りが、また重くなりました。
たった、歩くこと、、、
右の足を前にやって、次は左の足を前にやる。たったこれだけです。
たったこれさえも一緒にできないのか、自分の非力さを心の底から痛感します。
時計の針をみると午前8時、ゴールの室戸岬のタイムリミットは午後3時
ペースはずいぶん遅くなっていて、時速3kmぐらい
妻の足はだいぶ辛そうで、足を引きずりながら歩いています。
まだ20km近く残してますので、ざっと計算して6~7時間
もしかしたら、タイムアップの可能性もみえてきました。
私は、正直迷いました。もう妻は限界です。これ以上は、とても歩けそうにありません。
妻の体の事を考えると、次の「キラメッセ」で、妻をあきらめさせようかどうか?
私一人なら、時間内にゴールはできそうです。
しかし、妻はゴールは難しいかも。。。
何度も何度も自問自答を繰り返しました。
その時、私の母から妻の携帯電話に着信サインが
息子を「お泊り」で見てもらっていたのですが
昨日、熱を出していて、一夜明けた様子の知らせでした。
知らせでは、熱は下がり元気になっている様子、娘と一緒に遊んでいるとの事でした。
2人で安心すると同時に、さっきまでの迷いが急になくなりました。
そうです!人生のパートナーの妻をあきらめさせようかと迷った自分を
思いっきり恥じると同時に、息子に娘に、そして母に感謝し
また一歩また一歩、足をゴールに進めます。
「キラメッセ」に着いたのは、午前10時30分でした。
そこには、先回りして頂いた、さっきの「加領郷」のメンバーが
そこでも手厚くサポートしていただきました。
妻は、中野さん「ご氏名」でマッサージをお願いし、私も、ついでに中野さんに甘える事に
それが、本当に痛いんです。膝をグリグリッ!って、しかしメチャメチャ効いているんです。
そうしているうちにもう一人、背中をマッサージしている方が、、、
それは、秋吉さんでした。
大阪組の贅沢なダブルマッサージに、涙がでる思いをしながら
必ずゴールすることを2人に誓います。
時計の針は、午前11時30分、シャツ、靴下を替え
ラスト12kmの室戸岬を目指してゴールを約束して出発しました。
10分ぐらい歩いた頃でしょうか、ゴールと間違っていた行当岬を回ると
今度こそ、本当のゴールの室戸岬が見えました。
泣いても笑っても、残りわずか!私達の背中を海風が押すように吹き
全てが私達を応援してくれているように感じました。
足取りも軽く、意気揚々と歩いてましたら・・・・グキッと私の右足が。。。。
今まで慎重に道を選んできましたが
油断をしたのでしょう、道路の段差に足を踏み外しました。
明るい気持ちがまた不安に駆られます。
しかし、ここまで来たら、もうリタイアするワケには行きません。
妻:「大丈夫?」
私:「たいした事ないと思う、ありがとう、それより、そっちはどう?」
妻:「さっきのマッサージで、また楽になった」
今度は妻に心配してもらうようになり、絶対に一緒にゴールする事を誓いました。
私達がラスト7kmを切ったところ
携帯電話に、続々と無事にゴールした人からのメッセージが届きました。
一緒に歩いているメンバーの中では、どうやら最後尾のようです。
もう、こうなったら
私達もしっかりゴールしなければなりません。
最後のカーブを曲がり、最後は一直線、6kmとなりました。
今まで辛かった思い、そして多くの皆さま頂いた手厚いサポートが交互に思い出され、
また一歩また一歩、ゴールに向けて足を踏み出します。
そこから、ゴールの室戸岬まで、大海原をロケーションにして、一歩一歩。。。。。
最後のカーブを曲がると目の前に、中岡慎太郎の銅像が
そして、ゴール。。。。
2年越しの忘れ物を取りにこれたのと、今回は妻と一緒に歩けた嬉しさで
胸が熱くなり、いい加減泣いて無くなったはずの涙が、またこみ上げてきました。
午後1時45分歩き始めて28時間45分、私達は無事、ゴールする事が出来ました。
今回一緒に歩いた皆さま、サポート、応援を頂いた皆さま
本当にありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです。心よりお礼申し上げます。
今回、歩いたことで、決して、自分一人の力ではなく、たくさんの皆さまに支えられ
天候や運に恵まれ、完歩できた事を改めて実感しました。
私は今回の経験を通じて、3つの「感謝」の心を学びました。
●私達は、運に恵まれている事
●私達は、たくさんの皆様に支えて頂いている事
●私達は、多くの方々に喜んで頂ける社会活動を感謝の心でする事。
この感謝の気持ちを胸に、毎日励んで参ります。
それでは、失礼します。
細川 泰伸