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第6号 2007年12月発行
「感謝。室戸貫歩100kmウォーク」

こんにちは、失礼します 食援隊の細川泰伸です。
いつもいつも十黒梅をご愛飲頂きまして、本当にありがとうございます。

12月に入り、一気に冬本番!皆様いかがお過ごしでしょうか?
こちら高知では、この時期一種異様な空気を醸し出す風物詩があります。
それは、高知大学空手部主催、室戸貫歩です。
高知市朝倉にある、高知大学のキャンパスから室戸岬まで
約100kmを歩き貫く荒修行の行事があるのです。

この行事、一般参加もOKでして、
実は、数年前に妻と2人でチャレンジをしました。(妻が体調を崩す前の事です。)
今回は、その直後に綴ったものを紐を解きご紹介させて頂きます。

■感謝■

高知大学空手部主催第45回「室戸貫歩」のスタート地点に立った私
もともと私は、スポーツマンとかでは全くなく
歩く、走る、そんな事には全く興味がありませんでしたが

この大会に参加したきっかけは、いつもお世話を頂いているたくさんの方々が
愛知県三河湾で開催されている100km歩け大会に参加して

「細川さん、100km歩いたら本物になれるよ」
「100kmって、本当に感動するよ」
「一生に一回は、100kmに挑戦した方がいいって」
「自分の殻を破るって、こういうことかもしれないよ」などなど絶賛の嵐。

そこまで言うなら、一度ぐらい・・・と思い、
こちら高知でも開催されているこの大会に初参加しました。

その時は、日頃の不摂生がたたり50km地点で無残にもリタイア。
そして、今年は一昨年の忘れ物をどうしても取りに行きたくて、
そんな思いで参加した大会でした。

当初は、私一人で参加するつもりでしたが
10月に開かれた三河の大会にサポート役で参加した時
ご夫婦で一緒にゴールした方のそのすばらしい姿に、もうメチャメチャ感激・感動して

妻に「一緒に歩けたら嬉しいなぁ~」とボソッと言ったのが
2つ返事で、「じゃ~、歩こうか」と妻。

今回の私の課題・目標は、
ただ歩くのではなく、「妻と一緒に歩く」というのがそれでした。

自分のペース、いわゆるマイペースで歩くのと
他の人に合わせて歩くのとは、疲れ方が全く違います。

私にとっての100kmを歩くというのは
過去に挑戦した経験から、単なる「体力自慢」とかではなく
何か、人生の縮図のようなものを感じてました。

目標に向かって進んでいる時、いろんな困難や壁が途中待ち受けています。
自分達の力は本当に非力です。それらを乗り越えるには
「運」やたくさんの方々の「お力添え」が必要だと思います。

100kmを歩くのは、天候の運、道の運、時の運・・・
そしてサポートして頂く方のお力添え
全てが揃って、はじめて完歩できると思います。

今回は、妻と一緒にゴールに向かって歩くことで、一生のパートナーとして
自分と妻の2人共が最後まで、あきらめずに努力できるか?
しっかり妻を励まし、手を取り合ってゴールすることができるか?
きっとやれると、お互いが信じあえるか?

もし、一緒にゴールできたら
これからの長い人生、どんな困難も乗り越えれる事ができるだろう
絶対に一緒に最初から最後まで!そう誓って挑んだ今大会でした。

午前8時30分の集合時間に、大学生に混ざる私達、顔は笑っていますが、
これから始まる数時間に緊張の色が隠せません。
応援に駆けつけてくれた仲間と談笑し9時のスタートの合図を待ちます。

仲間とのスタート前の記念写真に夢中になっていたら
学生の集団がバラバラと動き始めました。どうやら、スタートした様子。
私達も、慌てて「いってきま~す」元気いっぱいで歩き始めました。

上町の坂本龍馬生誕地の前で、「今から中岡慎太郎に会いに行きます」と
手を合わせ、誓いを立てます。
高知市内を軽快に通り過ぎ、隣町の南国市に向けて
仕事の話や家庭の話などに花を咲かせ一緒に足を進めます。

最初は、周りにいたたくさんの学生や仲間も、だんだんとバラバラになってきて私と妻、
そして今回、わざわざ遠路千葉県からサポートに駆けつけてくれた
友人の早川さん3人になりました。

早川さん:「フルサポートしますから、後ろを歩きますね、
あと、歩道って、水はけがいいように
若干、斜めになっていたり、極端に斜めになっているので
なるべく平らな真っ直ぐなところを選んで歩いてくださいね、
斜めが一番、膝にくるんですよ」

私達のペースにピッタリ合わせて伴走して頂き
そして、適切なアドバイスを頂き、感謝の気持ちでいっぱいです。

歩き始めて3時間が過ぎた頃でしょうか
妻:「お父さん、ちょっと太腿が痛い」といい始めました。

妻は148cm40kgの小柄で、正直、100kmは無理だと思ってましたが
まだ、歩き始めて3時間、12km辺り
この辺りで早くも痛みを感じては、とてもゴールまで一緒に歩けそうにない
そんな心配が頭をよぎりました。

周りを見渡すと、前方に「ドラッグストア」の看板!
おっ!これは幸いと
私:「よし、あそこでシップか何かを買おう」励ましながら、足を進めます。

ドラッグストアでシップや塗り薬を購入し
早川さんからシップの貼り方やいろんなアドバイスを頂き、靴を履き直します。
目指すは約30km地点、第一の休憩所「ヤシィパーク」!
3人は快調に足を滑らせます。

第一の休憩所「ヤシィパーク」についたのは、それから3時間後、午後4時のことでした。
ペース配分的には全く問題が無く、時速4~5kmでちょうどいいペース
気になるのは、妻の足の痛みです。

「ヤシィパーク」で、靴を履き直し
次の休憩所の45km地点、「安芸球場前」を目指して出発しました。
しかし、勢い良く歩き始めたものの、いきなり、長い上り坂が妻の足を直撃します。

妻:「いかん!痛い!足がパンパン!」
私:「もうすぐ、上りきるき、もうすぐ」

思い起こせば、この坂は、過去にチャレンジした時に、
私も足を痛め、途方にくれた上り坂です。
過去の自分とリンクさせながらも、なんとか励まそうと、気を紛らそうと
大きな声を出したり、どうでもいいような話題に花を咲かそうとします。

何とか坂を上りきりますと、妻は、ずいぶんと調子を取り戻したようで
妻:「もう、上り坂はないがでねぇ~」と私に聞いてきました。

実はこの後、このコースの最大の上り坂「赤野」の坂が待ち受けています。
私は、この事実をどう説明したらいいのか頭を悩ませながらも

私:「この後、結構きつい上り坂がある」
妻:「そう・・・・・・・」
私:「けんど、それが一番の難所やき、それさえ越えれば、もうほとんど上りはない」
妻:「それさえ、越えたらえいがやねぇ」
私:「そう、それさえ越えたら・・・」
しばらくは無言のまま、その難所の上り坂に向けて歩きました。

そして、その難所の手前に差し掛かった時、
何人もの人がその前でリタイヤしていました。
私達は、意を決して、黙々と上り坂を登り始めました。
車なら何ともない坂なのですが・・・・

2本の足を交互に前に出すだけ、しかし斜面がそれをはねつけるようです。
やっとの思いでその長い長い長い上り坂を登ると、次に待っていたのは、
当然のように、長い下り坂が待っていました。

実は、下りの方が足に負担がかかり、ダメージがきついのです。
できるだけ、負担のかからないよう、そろりそろりと下っていきます。
何とか無事に、この難所を通り過ぎましたが
妻の足は、かなり限界にきているようで、急にペースダウンを始めました。

妻:「足が痛い」 私:「次の休憩所まで、あとちょっとやき」

気の利いた事も言えない自分が、情けなくなりつつも
2人で一緒に歩く事の難しさを、まざまざと痛感しました。

そこから、約1時間午後8時、
歩き始めて、11時間、45km地点の「安芸球場前」につきました。
最初は、コンビニで休憩を取るつもりでしたが
冷たいコンクリートの上に座ると、さらに足が動かなくなると思ったのと
あったかい物を食べさせてやりたかったので、ラーメン店に入ることにしました。

ラーメン店の椅子に座って、テーブルにうつ伏せになる妻、  もう、限界のようです。
足は、自分の意思で少しも動かせる事ができず
手で持ち上げるようにして足を動かせます。

私:「マッサージしようか?」  妻:「うん」  私:「こうか」と軽く触れると
妻:「痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!」

妻の痛がる姿に、妻には完歩は無理だと思っていたにも関わらず
誘った自分を深く深く反省しました。

と、同時に、もう一緒にこれ以上は無理なのかと-、あきらめの気持ち
そして、50km近くまで、よう歩いた、その体でここまで歩くって、すごいことや
ここまで、よく付き合ってくれた。感謝の気持ちが、同時に沸き起こりました。

早川さんを交え、3人でラーメンをオーダーすると、入り口から、いつもお世話になっている
山岸先輩が入ってきて、妻に、特製の杖を貸してくれました。

山岸先輩は、私の高校の先輩で、今でも公私共々大変お世話になっており
今回のこの大会のサポート隊長を引き受けて頂いておりました。

先輩:「どう、大丈夫?」
私:「嫁さんが、かなりやばいです。」
妻:「・・・・・・・・・・」
先輩:「けんど、ここまで、よう歩いたねぇ~、すごい」

誰もが、この場所で、妻がリタイアすると考えておりました。
私:「よう、がんばった、ここでやめるかえぇ~?」
と妻にリタイヤを勧めたとところ
妻:「何を言うがぁ~、室戸まで行くって」
私:「けんど、その足やんか」
妻:「いや!絶対に一緒にゴールする」

そう私が、そんな弱音を言ってはいけません。なんとしてでも、一緒にゴールする。
逆に妻に励まされた気がして、目頭が熱くなりました。

その後、先輩の奥さんにも駆けつけて頂き、入念なマッサージを頂き
さらに、お世話になっている東京の知人が、いきなり飛び入りで現れ
妻に歩き方のアドバイスをしてくれました。

意を決して、そこを出発したのは午後9時のことでした。

私:「どうや、足は?」
妻:「痛いけど、さっきのマッサージと歩き方のアドバイスで歩けるみたい」
私:「すごいやか」
妻:「うん、本当にすごい、本当にさっきはありがたかった。」

2人で、先輩の奥さんと知人に、感謝の気持ちでいっぱいになり、
気を取り直した妻と次の休憩所の「大山」を目指します。

大山は、安芸から約5km先
そして、大山で3人を迎え入れてくれたのは
大阪から、わざわざサポートに駆けつけてくれた、秋吉さんと中野さんでした。

フルサポートの千葉の早川さん、それから、大阪の秋吉さん中野さんは、
前年のこの大会で見事に完歩され、今年はサポートをしたいと
この日のこの為に、わざわざ大阪からレンタカーを借りて
駆けつけてくれたその姿に、涙をこらえる事は出来ませんでした。

大山では、あっついラーメン、チョコレート、飲み物、マッサージ
感謝と勇気をいっぱいいっぱい頂き、次の休憩所の「田野」を目指します。
大山から田野は、街灯も少なくなり急に暗さを感じるようになりました。

そうです、ここからが勝負!大山から先で、リタイアする人が急に増えます。
しっかり、頑張ろう、しっかり、妻を励まそう、そう心に決めて
大きな声をだしたり、歌を歌ったり・・・

しばらく歩いていると忘れらない光景が目の前に現れました。
そうです、一昨年のこの大会で、私ががリタイアした場所です。
大山から歩き始めて、2kmぐらいの忘れもしない自動販売機のところです。

この道を車で通る度に、どうしてここで、リタイアしがやろう
次は、絶対にここを越える!そんな思いの痛恨の場所でした。
今回は、無事にその鬼門を通過!まずは自分の過去を塗り替えた事にホッとします。

しかし、足取りは重い事には変わりありません。
妻:「田野は、あとどれくらい?」やはり、次の休憩所が気になるのでしょう
私:「そうやね、あと7kmぐらいやろうか
今のペースやったら、あと2時間ぐらいやろうか?」
妻:「あと2時間ねぇ~」
私:「どこかで途中、休む?」
妻:「休んだたら、体が動かんなるき、このまま行く」

痛いのを我慢しながらも、とにかくゴールを目指す妻の姿勢に涙がこみ上げてきました。
そんな中、今まで一緒にサポートして歩いて頂いてる早川さんが

「星がすっごくキレイですよ~」と一言

周りに街灯がないだけに、空を見上げると
今までに見たことのないような綺麗な星空が広がっているんです。

妻:「ホントやぁ~、すっごくキレイ」

オリオン座の中には、3つ以外にもたくさんの星が見えていて
とにかく、今までに見たことがないくらいの星の数。
まるで自分達を応援してくれているように感じました。

早川さんの励ましを頂いて、私達2人は、足をゴールに向けて一歩一歩進めます。
時計の針は、深夜1時、歩き始めて、16時間、やっとの思いでたどり着いた田野には
いつもお世話になっている友人大勢が応援に駆けつけてくれてました。

もう、本当に涙が出る思いでした。
用意してくれた、卵スープ、本当に、身も心も温まりました。
夜を撤してのボランティアに本当に感謝です。

妻は、そこで入念なマッサージを頂き、元気と勇気とやる気をたくさん頂きました。
そして、次の休憩所の約80km地点の「加領郷」を目指し出発します。

しばらく歩くと道は、海岸線に出ました
いつもだったら、すっごくロケーションがよく、とっても気持ちのいいところ

しかし、その時、私達を待っていたのは、冷たい厳しい海風でした。

腕時計の針を見ると、午前4時、冷たい海風の中、無言のまま歩く3人
先頭の妻の足取りが急に遅くなりました。

私:「おい、大丈夫か?」
妻:「・・・・・・・・、ちょっと眠い」
私:「じゃぁ~、何か目の覚めるような事でもしよう」
妻:「・・・・・・・・、何ぃ?」
私:「そうやね、人名シリトリ!人の名前のシリトリね
例えば、朝香(娘の名前)やったら、次は、『か』やき、カーネルサンダース、こんな感じ
と、いうことで、お母さん、『す』、はいどうぞ♪」
妻:「・・・・・・・・・・やめて」
私:「ごめん」

妻は、もう精神的にいっぱいいっぱいの様子、妻をどう勇気付けていいか分らず
もう、一緒に歩けないかもしれないと、あきらめかけた情けない自分がいました。

その時!私の持っていた携帯電話に秋吉さんからの着信のサイン
秋吉さん:「今、どこです?」
私:「たぶん、あと1時間ちょっとで加領郷っす」
秋吉:「豚汁作って待ってますからね~」
そうです!次の「加領郷」では、わざわざ豚汁を用意して待って頂いているんです。
私:「そうやった、次は豚汁やって、頑張ろう」
妻:「そうやね!豚汁♪豚汁♪」
あきらめそうだった自分達に一閃の灯りがともりました。

午前5時、私達の前に、車のハザードランプが見えました。
そうです、皆さんが待って頂いている「加領郷」です。
足を滑らすように、休憩所に入ると、みんなの温かい顔がそこにありました。

辿り着くやいなや、アツアツの豚汁を「いの一番」で頂くと
もう、その美味しさといったら。。。
五臓六腑に染み渡り、疲れきった体に元気の力がみなぎりました。
もう、本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。
涙が出る思いをグッとこらえて、もう一杯、おかわりをお願いしました。

それから、そこでも入念なマッサージを頂き、しばらく談笑していたら、後ろで
妻:「やめてぇ~、痛いぃ~」と悲鳴
目をやると、秋吉さんと中野さんのダブルマッサージを受けている様子
ここでも、たくさんの皆さまの優しさ・励ましを頂き、
次の84km地点の「キラメッセ」を目指します。
時計の針は、午前6時、歩き始めて、18時間が経った頃でした。

しばらく歩きだすと
妻:「すごい、足が軽い」私:「本当ぉ~?」
妻:「さっきのマッサージが効いたみたい」私:「それは、本当に良かった」
ちょうど、東の空から太陽が昇り始め、
あたりも明るくなり、前方にも、室戸岬が見えました。

私:「おい、あれが室戸岬のゴールや!」妻:「本当~?!やったぁ~、もうちょっとや」
気分も明るく、足取りも軽くなり、ペースが上がり、私達の気持ちは
もうゴールのテープを切っているようです。

しかし、どうも、前方に見えている岬が、やけに近すぎる事に気がつきます。
そうです、前方に見えていたのは、室戸岬ではなく、それは行当岬でした。
妻:「お父さん、ガッカリさせなやぁ~」
私:「ごめん、ごめん、おかしいとは思いよったけど・・・」

今までの明るい希望が折れた瞬間、妻の足取りが、また重くなりました。

たった、歩くこと、、、
右の足を前にやって、次は左の足を前にやる。たったこれだけです。
たったこれさえも一緒にできないのか、自分の非力さを心の底から痛感します。

時計の針をみると午前8時、ゴールの室戸岬のタイムリミットは午後3時
ペースはずいぶん遅くなっていて、時速3kmぐらい
妻の足はだいぶ辛そうで、足を引きずりながら歩いています。
まだ20km近く残してますので、ざっと計算して6~7時間
もしかしたら、タイムアップの可能性もみえてきました。

私は、正直迷いました。もう妻は限界です。これ以上は、とても歩けそうにありません。
妻の体の事を考えると、次の「キラメッセ」で、妻をあきらめさせようかどうか?

私一人なら、時間内にゴールはできそうです。
しかし、妻はゴールは難しいかも。。。

何度も何度も自問自答を繰り返しました。

その時、私の母から妻の携帯電話に着信サインが
息子を「お泊り」で見てもらっていたのですが
昨日、熱を出していて、一夜明けた様子の知らせでした。

知らせでは、熱は下がり元気になっている様子、娘と一緒に遊んでいるとの事でした。
2人で安心すると同時に、さっきまでの迷いが急になくなりました。

そうです!人生のパートナーの妻をあきらめさせようかと迷った自分を
思いっきり恥じると同時に、息子に娘に、そして母に感謝し
また一歩また一歩、足をゴールに進めます。

「キラメッセ」に着いたのは、午前10時30分でした。

そこには、先回りして頂いた、さっきの「加領郷」のメンバーが
そこでも手厚くサポートしていただきました。

妻は、中野さん「ご氏名」でマッサージをお願いし、私も、ついでに中野さんに甘える事に
それが、本当に痛いんです。膝をグリグリッ!って、しかしメチャメチャ効いているんです。

そうしているうちにもう一人、背中をマッサージしている方が、、、
それは、秋吉さんでした。
大阪組の贅沢なダブルマッサージに、涙がでる思いをしながら
必ずゴールすることを2人に誓います。

時計の針は、午前11時30分、シャツ、靴下を替え
ラスト12kmの室戸岬を目指してゴールを約束して出発しました。

10分ぐらい歩いた頃でしょうか、ゴールと間違っていた行当岬を回ると
今度こそ、本当のゴールの室戸岬が見えました。

泣いても笑っても、残りわずか!私達の背中を海風が押すように吹き
全てが私達を応援してくれているように感じました。

足取りも軽く、意気揚々と歩いてましたら・・・・グキッと私の右足が。。。。
今まで慎重に道を選んできましたが
油断をしたのでしょう、道路の段差に足を踏み外しました。

明るい気持ちがまた不安に駆られます。
しかし、ここまで来たら、もうリタイアするワケには行きません。

妻:「大丈夫?」
私:「たいした事ないと思う、ありがとう、それより、そっちはどう?」
妻:「さっきのマッサージで、また楽になった」
今度は妻に心配してもらうようになり、絶対に一緒にゴールする事を誓いました。

私達がラスト7kmを切ったところ
携帯電話に、続々と無事にゴールした人からのメッセージが届きました。
一緒に歩いているメンバーの中では、どうやら最後尾のようです。

もう、こうなったら
私達もしっかりゴールしなければなりません。

最後のカーブを曲がり、最後は一直線、6kmとなりました。
今まで辛かった思い、そして多くの皆さま頂いた手厚いサポートが交互に思い出され、
また一歩また一歩、ゴールに向けて足を踏み出します。

そこから、ゴールの室戸岬まで、大海原をロケーションにして、一歩一歩。。。。。
最後のカーブを曲がると目の前に、中岡慎太郎の銅像が

そして、ゴール。。。。

2年越しの忘れ物を取りにこれたのと、今回は妻と一緒に歩けた嬉しさで
胸が熱くなり、いい加減泣いて無くなったはずの涙が、またこみ上げてきました。

午後1時45分歩き始めて28時間45分、私達は無事、ゴールする事が出来ました。
今回一緒に歩いた皆さま、サポート、応援を頂いた皆さま
本当にありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです。心よりお礼申し上げます。

今回、歩いたことで、決して、自分一人の力ではなく、たくさんの皆さまに支えられ
天候や運に恵まれ、完歩できた事を改めて実感しました。

私は今回の経験を通じて、3つの「感謝」の心を学びました。

●私達は、運に恵まれている事
●私達は、たくさんの皆様に支えて頂いている事
●私達は、多くの方々に喜んで頂ける社会活動を感謝の心でする事。

この感謝の気持ちを胸に、毎日励んで参ります。

それでは、失礼します。

細川 泰伸

第5号 2007年11月発行
「1日の中で、一番ほっこりする時間」

こんにちは、失礼します。
食援隊の細川泰伸です。
いつもいつも十黒梅をご愛飲頂きまして、本当にありがとうございます。

11月に入り、皆様いかがお過ごしでしょうか?
今年の夏は異常気象ともいうべき記録的な、猛!猛!猛暑、そして残暑の影響か
こちら南国高知は、日中はまだまだ、半袖でも大丈夫です。
しかし、さすがに朝夕は11月ですね、朝の風が冷たくなり、
体力作り・健康作りに続けている自転車通勤には、
風を通しにくい、ナイロン製のウィンドブレーカーが必要です。

でもでもでもっっっつ!私の自転車の横をすり抜ける通学途中の小学生は・・・

なんと!半袖っっっ!!!!! いやぁ~、イキイキモード満点です。

私:「よぉ~し、明日から半袖で行くぞぉ~」と妻に言うと
妻:「年を考えてね、年を!」と一喝
そうですね、いくらなんでも小学生の真似をしてはいけませんね

そんな朝夕の冷たさを感じるこの頃
私にとりまして、「1日の中で、一番ほっこりする時間」があります。

それは、布団に入って眠りにつくまで、15~20分間の読書タイムです。

「十黒梅」をキュッと飲み、布団に入ると
さっきまで温度のなかった布団が、ジワジワと温かくなり、とても心地がいいんです。

そして、その時間をさらに楽しませてくれる、現在、枕元にある愛読書は
「天翔ける日本武尊(あまかけるやまとたけるのみこと)」!

まだ、読み始めて間もなく、本来ならば、完読してからご紹介すべきなのですが
あまりにも、心に感じるところがあるので少しだけご紹介させて頂きますと

主人公は、皆様ご存知、ヤマトタケル!
日本の草創期に活躍した神話の英雄です。

父の景行天皇が、ヤマトタケルを立派な後継者にするためには
本人を死に直面させ、甘えを削ぎ落とすしかないと苦悩の末に決意し
戦地に向かわす、親も子も覚悟を決めるシーンがありました。

私は、覚悟を決めて起業した時の、あの熱い想いを思い出し
吸い込まれるようにページをめくりました。

そして、読みすすめるうちに、他の民族にない、
日本人のルーツといいましょうか、そのようなものを感じ、胸を躍らせています。

なぜ、この本を手に取ったかといいますと・・・
実は、9月にこの著書を書かれた
神渡良平先生の講演を受講するチャンスがありました。

先生は、38歳の時に脳梗塞で倒れ右半身不随となり、
そして、その時「人生は一回きり」という事を骨の髄まで身にしみたそうです。

闘病中に読んだ安岡正篤氏の本に感銘を受け
もともと物を書くのが好きだった先生は「人生は一回きり」と
安岡正篤氏の本を自分で書きたいと強く思われたそうです。

必死のリハビリで、医師も驚くほどの回復力で、右手でペンが持てるようになり、
出版にむけ、安岡正篤氏の資料を集めに奔走されました。
しかし、当時まだ無名だった先生に、資料を提供する人などいませんでした。

ところが、強く思えば、思いは必ず届くものですね
私はここからのエピソードに、もの凄く感銘を受けております。

先生は、安岡正篤氏の教えを学んだ、元・住友生命社長の新井正明氏に、
ダメもとで資料提供の用件で面会を申し入れをされました。

新井正明氏は、戦争で右足を失くされました。
毎夜見る夢の中では、足が元通りになっている
ハッと目が覚め、足を触ってみると足はありません。
スリッパを履こうとすると、決まって無いほうの足のスリッパを探してしまう。
このまま帰国するには、あまりも惨めすぎる
いっその事、死んだほうがましだったと、絶望の崖っぷちだったそうです。

そんな時、新井氏は安岡正篤氏の
「忘の効用・人間には、忘れるという天が与えてくれた、すばらしい能力がある」
という教えを知り、目を熱くされたそうです。

ないものねだりをして過去にこだわってもどうなるものでもない
忘れて、新しい明るい道を歩こう

そんな体験のある新井氏は、脳梗塞で倒れ、人生は一回きりと決意した神渡先生の
熱い申し入れに心を動かし、安岡正篤氏の資料提供に積極応援をすることになり
神渡先生の処女作「安岡正篤の世界」は見事ベストセラーとなったそうです。

「熱い思いは、必ず報われる」 この先生のエピソードに、
私は目頭が熱くなり、両目の涙を止める事が出来ません。

その神渡先生の最新作が、「天翔ける日本武尊(あまかけるやまとたけるのみこと)」です。
渾身の思いをかけて書き上げたと熱く語って下さりました。

講演終了後、即売会があり並んで買い求めました。
受講生の多くが本を買い求めたので、先生の前には長蛇の列です。
先生は、本の裏表紙に、姿勢を正して丁寧に、
一度は脳梗塞で不自由になりながらも、見事に回復したその右手で、
サインを下さります。それも、一人一人違うメッセージを添えてです。

時間がちょうどお昼だったので、先生に食事を先にお勧めしたのですが
先生は、並んでいた受講生に、名刺を本に挟むように指示し、
ご自分より先に食事に行かせ、先生はそのまま一人残って、
名刺の名前を見ては、丁寧に一冊ずつサインをしておいででした。
もう、私は胸が熱くなる思いでいっぱいでした。

私は先生の横で、サインの仕上げとなる先生の判を押すお手伝いをすると
「細川さんの笑顔は本当に素敵ですね」と優しくおっしゃって下さり
私が買い求めた三冊の本それぞれに

「飛翔」  「燈心」  「笑顔は天の花」
とメッセージを書いて下さりました。

胸の奥からジ~ンと、温かいものが込上げた事を、今でもありありと覚えています。

「天翔ける日本武尊(あまかけるやまとたけるのみこと)」
この巨編を書き上げた先生に改めて感謝し
しばらく、眠りにつくまでのひと時を存分に楽しみたいと思います。

それでは、失礼します。

細川 泰伸

第4号 2007年10月発行
「食欲の秋!読書の秋!スポーツの秋!・・・」

こんにちは、失礼します
食援隊の細川泰伸です。

いつもいつも十黒梅をご愛飲頂きまして
本当にありがとうございます。

ちょうどお彼岸の頃からでしょうか
あれだけ暑かった今年の夏がとうとう終わり
ゴロッと季節が変わってきました。
「暑さ寒さも彼岸まで」とは、本当によく言ったものです。
秋という言葉がピッタリの季節になってきました。

秋は食いしん坊の私にとりまして大好きな季節!「食欲の秋」

魚の脂は乗ってきて、身はギュッとしまり
カツオ・サバ・アジ・サンマ・ハマチ・カンパチ。。。。

十黒梅を食前酒に、カツオはやっぱりタタキがいいですね~
タマネギのスライスの上に、
ニンニクのスライス、みょうが、ねぎ、大葉などの薬味を
カツオが見えないくらい、ふんだんに山盛りに乗せ、
醤油・酢・酒・みりんを合わせた我が家秘伝のタレをかけて、
おもむろに口の中に放り込む。。。。

それから、サバもタタキにするとおいしいんですよ~
脂が乗りに乗った清水サバのタタキを初めて食べた時は、
「えっ!ホントにサバぁ~???」と自分の味覚を疑いました。

サンマは、やっぱり塩焼きですよね
脂じゅ~じゅ~のサンマに、キリッとしまる大根おろしをのせて。。。
ちょうど、漫才師のボケとツッコミみたいなものです。
両方があって美味しさ倍増です。
「サンマ苦いがしょっぱいか。。。」
あのハラワタのところは、たくさんは食べれませんが
何とも言いがたい美味しさがあります。

何だか、頭に「ぽか~ん」と思い浮かべただけでも
お腹の虫がぐぅ~ぐぅ~と鳴ってきました。

それから、秋といえば「読書の秋」
書棚を整理してますと
中学生の頃に買った「吉川英治の三国志」が出てきました。

なんだか急に当時読んだ懐かしさが込み上げ
ページを開いてみますと、1800年前にタイムスリップ!

劉備が、曹操が、孫権が、孔明が、関羽が、張飛が・・・・
古代中国の大地を勇々と駆け巡る英雄たちの熱い物語に
吸い込まれていき、自分もそこにいるような気がします。

まだ、読み終わってなく途中ですが、改めて読み直してみると
社会人となり、起業した私にとりまして
初めて読んだ中学生当時では
感じ得なかった事が心に沁み入るように思いました。

この物語は大切なを事を私に教えてくれるような気がします。

一言でいうと非常に難しいのですが
「仁・義・礼・智・信」といいましょうか
温故知新、登場人物の生き様は
私の心の羅針盤になるような気がします。

どくだみと同様、昔からずっと伝わるものは
やっぱりいいですね~

十黒梅をクイッと飲んで
心地よい眠りに入るまで
一日少しずつ、ベッドの中で読んでますので
なかなかページが進みませんが
今年の秋のうちには、何とか最後まで読み終わりたいと思います。

それからそれから、秋といえば「スポーツの秋」
小学生1年生の娘が、週1回、スイミングスクールに通っていまして
先月からバタフライを習い始めました

それで、先日一緒にプールに行きまして
見せてもらったのですが。。。。

私より上手なんです。

と、いいますか
私の場合は、水の中でドタバタしてますので
ドタバタフライなのですが、、、

子供は物覚えが早いといいますが
これでは父親の威厳は台無しです。

その娘の姿を見て
何を思ったのか、妻までもスイミングスクールに通うようになりまして
これまた、そこそこ泳げるようになってきまして
どうやら、水の中では家族No.1の座が危うくなってきました。

そもそも健康のためにと、ちょこちょこ泳いでいるのですが、
父親として、このNo.1の椅子を
そうそう簡単に譲るわけにはいきません。
この秋は、水の中で激しい火花が散りそうです。

「食欲の秋」「読書の秋」「スポーツの秋」・・・
ちょうど過しやすいこの季節に、ありがとうと感謝して
秋を満喫したいと思います。

皆様の今年の秋はどんな秋になりそうですか?
もし宜しければ、皆様の秋をお聞かせ頂けると嬉しいです。

「前から行きたかったところへ旅行に行った」
「毎朝の散歩を、紅葉に誘われ少し道を変えてみた」
「思い切って、習い事を始めた」
「カラオケのレパートリーを増やした」などなど
イキイキ元気なお声を頂けると幸いです。

最後になりましたが
一番過しやすいこの季節、
皆様のイキイキ元気に十黒梅がお役に立てる事を
心よりお祈り申し上げます。

それでは、失礼します。

細川 泰伸

第3号 2007年9月発行
「玄孫(やしゃご)の自転車を直さんといかんき・・・」

こんにちは、失礼します
食援隊の細川泰伸です。

いつも生搾りどくだみ青汁酒・十黒梅(じゅっこくばい)を
ご愛飲頂きまして、本当にありがとうございます。
皆様の「イキイキ元気」のお役に立てれば幸いです。

9月に入りまして、残暑厳しい毎日皆様いかがお過ごしでしょうか?
今年の8月は、それにしても本当に暑かったですね~、
群馬とか埼玉とか、そのあたりでは
最高気温が40℃を越えるところもあったそうですから、
並大抵の暑さではなかったと思います。

それから、甲子園・夏の高校野球も熱かったですね、
今年は、無名だった佐賀北高校のナインに胸を熱くしました。
そしてなんと! 十黒梅をご愛飲の方から

————————————————————–
「母校なんです!ホントに感激・感動です。
7試合中2試合は同窓会館で100人以上の方々と盛り上がりました。
昨日の決勝戦は親友の家でビール呑みながら(昼から~~~)
女2人でギャーギャー大騒ぎでした。夜はあちこちのニュース番組のハシゴ!
今年卒業30周年記念同窓会なんですが、
お世話役をしている関係上、会合にも力が入ってます。
監督が『何で開幕戦を引いたとか~、
開会式次の日には帰らんば~』と言われてたそうです。
勿論、私たちも『早く帰れてお金掛からなくてよかったね~』そう思ってました。」
————————————————————–
という熱い熱いメールを頂きました。本当におめでとうございました。

こちら高知は、大きなお祭り「よさこい祭り」で完全燃焼したはずの熱い火が
まだまだ残っているような熱さ暑さが続いております。
首からタオルを手放せない陽気です。

健康作りにと、週に数回通っているプールも
冷たいはずの水が、この陽気・熱気で水温が上がり温水プール状態で
常連のおんちゃんは、「こりゃぁ~風呂じゃ、プールに石鹸を持ってこんといかん」と
25mを泳いでは、はぁ~はぁ~いいながら冗談を言ってます。

そのおんちゃん、年は82歳!
(高知では、だいたい40歳位から上の男の人を愛称を込めて「おんちゃん」と呼びます)
ちょっと背中が曲がってますが、まだまだ現役の自転車屋さんです。

先日、私の愛車(自転車)の前輪のタイヤがパンクしたので修理に持っていたところ、
スルスルっとタイヤからチューブを取り外し
ササッと水の中につけ、破れている箇所を確かめ
パパッと、保護テープを接着し、たちどころに、
ものの数分で直してくれました。さすが熟練の技!

本人いわく
「玄孫(やしゃご)の自転車を直さないかんき、あと20年はやらないかんねぇ~」と
100歳現役を早くも宣言してます。
「けんど、100になったら、前の車輪と後ろの車輪を間違おうたらどうしよう」と
意味不明な心配もしています。
どうやら、数字の0が2つ並ぶので、
0を車輪に見立てたトンチをきかしているようです。

ところが、その元気なおんちゃん、しばらく、プールで見かけなかったのです。
プールで顔をよく合わすみんなと、
もしかして何かあったのかと本当に心配しておりました。

そんなある日、いつものように
軽快に泳いでいる、自転車屋のおんちゃんの姿がプールにありました。

私:「おんちゃん、どうしよったぁ~?
みんなで心配しよったけどぉ~」と話しかけると
おんちゃん:「体の中のチューブを治しよった」とニコッと笑顔で。。。 (*^_^*)

どうやら、腸の手術をしたようで、しばらく病院に入院してたんだそうです。
自転車屋さんだけに、腸をチューブと冗談を言うところがさすがです。
さらに、おんちゃん、腸の辺りを触りながら
「チューブを治すがやったら、ワシの方がうまいからもしれん」
下手なお笑い芸人よりもずっと面白い事を言って、プールに笑いの渦を作ります。

私:「病み上がりやき、あんまり無理せられんでぇ~」と心配すると
おんちゃん:「なんの、三途の川をターンして帰ってこんといかんきねぇ~」
と、私の心配をよそに、元気に泳ぎはじめるおんちゃん

いや本当に、20年現役で頑張って頂いて
玄孫(やしゃご)の自転車の修理には、自慢の職人技を振るって欲しいです。

さて、9月といえば、「敬老の日」があります。
2003年から、9月の第3月曜日になり
今年は、9月17日(月)が「敬老の日」になります。

ちなみに、この「敬老の日」を調べたところ
敬老の日は、兵庫県多可郡野間谷村
(後の八千代町を経て現在の多可町八千代区)の門脇政夫村長が
1947年(昭和22年)に提唱した「としよりの日」が始まりと言われています。

「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、
農閑期に当り気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、
敬老会を開いたのがきっかけで
これが1950年(昭和25年)からは兵庫県全体で行われるようになり、
しだいに全国に広がったそうです。

その後「としより」という表現は良くないということで
1964年(昭和39年)に「老人の日」と改称され、
1966年(昭和41年)に国民の祝日「敬老の日」となったそうです。
このため、「母の日」のように外国から輸入されたような記念日と違い、
「敬老の日」は諸外国にはありません。

その他、諸説によりますと
聖徳太子が四天王寺に悲田院を建立した日であるとか、
元正天皇が養老の滝に御幸した日であるとかという俗説もあるそうですが
どちらも確かではないようです。

私は、日本独特の文化が生んだこの記念日に
何か忘れかけていた大事なものがあるように感じます。
新技術、新開発、新しい事はすばらしいと思うのですが
昔から伝えられきた事の中にもすばらしいものがあると思うのです。
職業柄、どうしても食品業界に目が留まるのですが
便利さや見栄えやコストを優先され加工された食品には
それと引換に失われているものがあると思うのです。
「温故知新」、昔から伝わるものを再確認し
皆様にお役に立てる商品作り・商品開発に励みたい
「敬老の日」を前に、そのように思いました。

それでは、失礼します。

細川 泰伸

第2号 2007年8月発行
「子供と初キャンプ、自然の学びは大きいなぁ~」

こんにちは、失礼します。
食援隊の細川泰伸です。

いつも生搾りどくだみ青汁酒・十黒梅(じゅっこくばい)を
ご愛飲頂きまして、本当にありがとうございます。
皆様の「イキイキ元気」のお役に立てれば幸いです。

7月21日(土)22(日)と
高知県西部の黒潮町というところに
キャンプに行ってきました。

黒潮町は、昨年、大方町と佐賀町が合併して誕生した町です。

テントを張ったところは
国の名勝指定もされている「入野松原」の中にあるキャンプ場
目の前には、白浜の美しい入野海岸が広がり
サーフィンを楽しむ方で賑わってました。

最初は、6歳の長女と4歳の長男が
「キャンプに行きたい!キャンプに行きたい!」と
あまりにもせがむもので、しょうがないなぁ~と
思って計画をしたのですが

テントやバーベキューの準備をしているうちに
私や妻の方がだんだんと楽しくなり
友人も誘い、合計7人でのキャンプとなりました。

初日は、釣りイカダで魚を釣り
それを夜、バーベキューで焼いて食べる計画です。

今まで、同じような計画は何度かあったのですが
どれも魚が釣れず、結局、魚を買う事になったのですが
今回は、どうでしょうか?

港から小さい船に乗り、約10分
すこし沖に、プカンと浮かぶ釣りイカダに向かいます。

船頭さんの話では、前日は
アジが20匹ぐらい
20cm前後のチダイが40~50匹
そして、そして!
50cmの大きなマダイが2匹
釣れたのことで、期待がパンパンに膨れ上がります。

イカダの上に乗り、まずは長女の仕掛けを作り
釣りのスタート!

と、思いきや!
いきなり、長女の竿が「ググっ」と引いています!
「どうしよう、どうしよう」という顔の長女
ゆっくりリールを巻くと。。。

アジです!
それも20cm前後のちょうど塩焼きサイズ!
早速の晩御飯!

その後、長男の竿には、チダイが釣れ
2人とも大喜びです。

その後も、続々と
うるめイワシとかカンパチの子供とかも釣れ
大漁!大漁!クーラーはいっぱい
バーベキューで焼く分に、十分です。

イカダでの釣りは、子供と一緒にできるので
お子様がいらっしゃる皆様
本当におすすめです。

その後は、以前より
懇意にさせて頂いている方が
「カブトムシをつかまえちゅうき、よったやぁ~」
とお声掛け頂いてましてので
お言葉に甘えてお伺いすることにしました。

伺うと、見事なカブトムシが4匹!

子供にしたら、
カブトムシは、売っているものと思っていたので
「どこで、買こうてきたがぁ~?」という始末、
「山におったがでぇ~」という声に
「へぇ~~~」と目をキラキラさせてました。

そして、場所をキャンプ場に移し
テントを張ってバーベキューです。

入野のキャンプ場は、ちゃんと区画されていて
地面に番号札が立ってました。
私達が割り振られた場所は
なかなか絶好のポイントでした。

洗面所、手洗い、シャワーも近く、
石で囲った釜戸もあり、木のテーブルもあり。。。
もういう事無し、文句無しです。

それから、このキャンプ場、
もう一つ、気に入ったところがあります。

なぜか?「蚊」がいないんです。
ウソみたいな本当の話です。
もしかしたら、
「蚊」は松林の中では住めないのでしょうか?

はじめてのキャンプ場だったので
いろいろと心配をしておりましたが
予想以上、大満足の状況に
テントを張る作業も軽やかです。

長女の方は、妻と一緒に釣ってきた魚を刺身に捌き
目をルンルンとさせていました。

その刺身の美味しい事といったら、もう!
さらに、アジの塩焼きなんて、最高です!
身がふわっと柔かいのにしっとり。。。

長女や長男も、自分が釣った魚を刺身や
焼いて食べるわけですから
その味は口では言い表せなかったのでしょう
いつもはご飯を残すのですが
「おかわり!」の元気な声、連発です。
家族や仲間とのバーベキューの味は本当に格別です。

夜もふけると、今度は砂浜に出て
花火におおはしゃぎ
なんだか、子供より私の方が喜んでいたようです。

星を数え、初めての家族でのテント泊まり
朝から晩まで自然を満喫しました。

次の日は、海水浴をして
私と子供の体は、真っ赤赤!!!!!!

家に戻った時は、本当にぐったりでしたが
「また今度連れてってぇ~」と
子供はいろんな経験ができ
本当に楽しかったようです。

今回、自然の中で丸2日過ごしたわけですが
改めて、こうした自然の中での学びは大きいなぁ~と思いました。

例えば、魚にしても、魚屋さんで
刺身の状態でいつでも売っています。

自分で釣って、自分で三枚におろして食べるという経験をすれば
魚屋さんに、「ありがとう」という気持ちも感じると思います。

お米を作る体験をさせてあげれば
きっと、お百姓さんに、
「ありがとう」という気持ちも芽生え、
ご飯をおいしく食べる事もできるでしょう。

今、「食育」という言葉が、必ず新聞のどこかを賑わせてます。
食べ物を作って頂いている方に、
感謝して「ありがとう」の気持ちで食べる事を教える。
これも「食育」の一つではないか?
それには、実際に、体験する事がいいのではないか?
そう心に強く感じた2日間のキャンプでした。

それでは、失礼します。

細川 泰伸

第1号 2007年7月発行
「細川さんって、どんな方ですか?」

こんにちは、失礼します。
食援隊の細川泰伸です。

いつも生搾りどくだみ青汁酒・十黒梅(じゅっこくばい)を
ご愛飲頂きまして、本当にありがとうございます。
皆様の「イキイキ元気」のお役に立てれば幸いです。

それからこの度、「イキイキ元気倶楽部通信」を
お手にとって頂きまして、重ねてお礼申し上げます。

5月7日に発売となりました
生搾りどくだみ青汁酒・十黒梅(じゅっこくばい)、
お陰様で2ヶ月となります。

その間、ご利用頂きました方も2000名を超え、
嬉しいお声を続々と頂き、本当に嬉しく感じております。

その中で、
—————————————————-
毎晩、楽しみに愛飲しております。
長い間、しんどかった「せき」が和らいできました。
本当にありがとうございます。
ところで、この「どくだみ酒」は
奥様のために、わざわざ作ったと伺いました。
本当に素晴らしい事です。
それにしても、「どくだみ」を知っているとは、
細川さんは、おいくつの方なんですか?
—————————————————-
というお声を頂きました。

その他にも、同じように私の年齢が何歳なのか、
とても気になる!というお便りを予想以上に頂いております。

そこで今回は、第1回目の「イキイキ元気倶楽部通信」ということもあり、
私・細川泰伸の自己紹介をさせて頂きます。

・本名   細川 泰伸
・血液型  A型
・家族構成 妻・長女・長男

(学校と職業)
明徳義塾中学校 明徳義塾高等学校
明治学院大学経済学部 卒業

東京で食品会社に勤務後
地元・高知で父親が経営する食品会社に勤務
平成18年2月 独立 株式会社食援隊を設立

(趣味) 釣り・将棋・水泳
(自己PR) 声が大きい・明朗活発・一本気

「食」の道に携わる両親の元に生まれた私は、
「食という漢字は、人を良くすると書く」と教えられ育ちました。

その教えは小さい頃の私にとりまして、
とにかく食べる事はいい事だ!ぐらいで
意味が分からなかったのだと思います。
本当によく食べる子供でした。

それで、小学校1番の肥満児で、そうなると走るのが遅いんですね。
運動会のかけっこでは、6年間通して、後ろから数えて一番でした。

そんな私ですから、
今年で6歳の長女、そして4歳の長男の運動会は、本当に気になります。
私譲りの運動オンチだったらどうしようと
2人の運動会のかけっこに、手に汗を握りました。

しかし、2人ともそこそこ走れるようで、「ほっ」としました。
どうやら、妻の方に似たようです。

小学校6年の時に体験した、子供同士の
夏の子供合宿・寮生活がとても楽しく
毎日、寮生活だったら、楽しいだろうなぁ~と、
とんでもない勘違いをし、
中学・高校は、当時全寮制の明徳義塾に進んで行きました。

ところが!私の予想と全く違う生活が待っていました。
いやぁ~、本当に厳しかったです。
朝6時に、「起床!起床!各寮点呼!」という
全寮一斉のアナウンスが流れます。

寮生全員が、部屋の前に整列し、なぜか?前を手で押さえ、
寮長の「番号ぉ~、始めっ!」の合図に順番に「1」「2」「3」・・・

その後、グランドで全校生徒の朝礼があり、
授業・クラブ活動・全校生徒の夕礼があり、夜10時30分に消灯、
その時も、全寮生、部屋の前に整列し、
寮長の「番号ぉ~、始めっ!」の合図に順番に「1」「2」「3」・・・
それから、寝床に入ります、まるで、軍隊の映画のワンシーンのようです。

それで、食べ盛りの中学生・高校生じゃないですか、
夕方6時頃に夕食を食べてから、その後、何も食べるものがないんです。
夜中に、お腹が減って減ってどうしようもありません。
しかも、食べ物を個人的に持っているのは禁止です。

そうなるとやっぱり、
こっそり通称「闇菓子」という「お菓子」なんかを
部屋に隠し持つようになります。

その「闇菓子」を夜中にこっそり電気を消して、
竹刀を片手に持った見回りの先生の目をかいくぐり、
部屋長の高学年の先輩から順番に、全員で食べるんです。
上下関係がビシッとあって、連帯感があって、
お腹を空かしている時に、いつも恐い厳しい先輩が、
面倒見良く分けてくれる「闇菓子」の味は本当に別格でした。

この「闇菓子」を通じて、食べる事を通じて、
上下関係や食べ分ける事の大切さ、食べる事の大切さ、
いろんな事を学んだような気がします。
今思えば、本当にある意味、いい思い出です。
今は、もうこんな事はないと伺ってます。

私の子供が時々食事を残すのが、本当に悲しく、
食べるものを大事にして欲しい、
一度、こんな経験も必要なのかなぁ~、
でも、あまりさせたくないなぁ~と、
子供の寝顔を見るたびに思うこの頃です。

その後は、東京の大学に進学し、卒業後は
「一度は、よその飯を食べてこい」という父の言葉に、
やっぱり「食」に携わる仕事をしようと食品会社に就職し、
5年間修行(?)してから高知に戻りました。

その後は、父の元で「食」の仕事を教わり、
平成18年に独立をしました。

今回、開発をしました
「生搾りどくだみ青汁酒・十黒梅(じゅっこくばい)」は、
妻が体調を崩した事がきっかけで、自宅用に作ったところ、

お分けした身近な方々から、
「このお酒は、本当にいい、買えるの?」
「おいしい、続けてのみたいね」
「これは、絶対に広めるべきですよ」
「みんな喜ぶと思うよ、いいものしか使ってないんでしょ」という
心揺さぶられる熱いお声を頂き、両親からの教えの
「食という漢字は、人を良くすると書く」という教えが
まさしくこれではないかと身を震わせる思いがしました。

それから、食品の表記の法律で、
「水」は原材料に書かなくてもいい事になっていて、
単なるコストダウンのためだけに、
「水」で薄めているものが出回ったり
(もちろん、水で薄めないといけない正当なものもたくさんあります。)
また、食品添加物がどんどん開発され、
例えば、レモンじゃないのにレモンの味がする
カニじゃないのに、カニの味がする
そんなものが出回ったりしています。
(もちろん、まじめに製造されている方も多くいらっしゃいます。)

この生搾りどくだみ青汁酒・十黒梅(じゅっこくばい)は
「水」で薄めたりしていませんし、
カタカナのワケの分からない素材や
とても読めそうにない漢字の素材は使っておりません。

家族に一生涯飲ませたい、自分が一生涯飲み続けたいと願い、
薬学博士に指導して頂き、時間をかけて作ったこの健康酒は、
「食という漢字は人を良くすると書く」という教えの通りで、
きっと、多くの方のお役に立てるはず!そう思い、開発をしました。

この生搾りどくだみ青汁酒・十黒梅(じゅっこくばい)が
あなた様のイキイキ元気生活のお役に立てれば何よりです。

それから、6月13日に、こちら高知の新聞、
高知新聞に取り上げて頂いてから、
地元の方からたくさんのお声を頂くようになりました。

その中で

「家族に飲ませるために作った健康酒
今まさに、こういった考えで商品を作られている会社が
少なくなってきたように感じます。
私達の地元・高知に、そんな会社があって嬉しいです。
応援しております。頑張って下さい。」

「奥様の体調を案じて作ったいう新聞の記事を読んで
感動をしております。製品は違えど、私も製造業をしております。
納品先のコスト意識で、本当に自分が作りたいものが作れず、
葛藤の毎日でした。励みに頑張りたいと思います。」

という応援メッセージを頂き、目頭の熱い思いがしております。
皆様、本当にありがとうございました。

確かに頂いたメッセージの中の
「家族に飲ませるため・・・」という
商品作りへの当り前の思いがう薄れているように思える事件が、
近頃多く報道されています。

両親の教えを背骨にしっかりと持ち、
皆様に喜んで頂けるよう皆様にお役に立てるよう
これから、しっかりと頑張って参ります。
今後ともどうぞ、よろしくお願い致します。

それでは、失礼します。

細川 泰伸